【課題4017】
借り物の言葉ではない『自分の言葉で働く』とは、どういうことだと思うか。自分なりの考えをまとめてください。
会議や商談で、どこかで聞いたような「正解」を並べている自分に気づくことがあります。
理路整然としていて、何も間違っていないはずなのに、相手の心に響いている実感が持てない。
むしろ、話せば話すほど、自分の中が空っぽになっていくような不思議な感覚。
「正しい言葉」を話すことと、届く言葉を話すことは、どうやら違うようです。
借り物ではない「自分の言葉」で働くとは、一体どういうことなのか。
私もまだ、その答えを探している途中ですが、今感じていることを少しだけ置いておこうと思います。
- 「知識」が「確信」に変わる境界線
-
頭で理解した正解(知識)と、心から信じている実感(確信)の間に流れる、微かな、けれど確かな温度差について。
- 不器用さの中に宿る「その人らしさ」
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効率やスマートさを手放したときに現れる、自分で考えた「跡」。その跡こそが、なぜ人の心を動かすのか。
- 自分を守る「盾」を手放す勇気
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借り物の言葉という安全な場所から一歩踏み出し、自分を露出させて働くこと。その怖さの先にある、本当の信頼について。
この記事は、「自分の言葉で働く」とは何かについて、セールスパーソンおよびビジネス指導者としての立場から、自分自身の思考を整理し共有するものです。
うまく話せる人になりたかった頃
かつての私は、「知っている人」になりたいと強く願っていました。
有名な経営者の哲学。
洗練された営業理論。
SNSで語られる鮮やかな仕事術。
それらを吸収し、自分の会話に淀みなく取り入れること。
それが「仕事ができる人」の条件だと思っていたのです。
もちろん、それが無意味だったとは思いません。
むしろ人は、最初は誰かの言葉を杖にしてしか歩けない時期があるのだと思います。
新人の頃なら、なおさらです。
自分の中にまだ経験という「土」が十分にないとき、先人の知恵を借りることは、自分を守り、育てるための大切な術でもあります。
それは料理を覚えるときに、まず忠実にレシピをなぞることに似ています。
型があるからこそ、私たちは迷わずに進むことができる。
ただ、ある時から、言葉にできない違和感が私の中で膨らんでいきました。
理論としては正しい。
説明に落ち度もない。
それなのに、自分の口から出た言葉が、自分自身の耳に届く前に霧散してしまうような「軽さ」を感じるようになったのです。
言葉は整っているけれど、私の中で響いていない。
相手を動かそうとしているのに、肝心の自分自身がその言葉に突き動かされていない。
そんな、どこか地に足がつかない感覚でした。
「自分の言葉」は、経験のあとに残るもの
では、「自分の言葉」とは一体どこにあるのでしょうか。
今の私は、それを「経験というフィルターを通過し、最後に残ったもの」だと考えています。
それは、華々しい成功体験ばかりではありません。
むしろ、人に見せるのをためらうような記憶の中に、その種(たね)は隠れています。
思うようにいかなかった日の苦さ。
選べなかった選択肢への未練。
情けなくて、自分を嫌いになりそうになった瞬間。
そうした感情を、自分の中で何度も咀嚼し、時間をかけて飲み込んできた先に、ようやくこぼれ落ちる言葉。
それが、借り物ではない「自分の言葉」なのではないでしょうか。
だからこそ、自分の言葉にはどこか「不器用さ」が残ります。
決して、洗練されてはいません。
綺麗に整えられたマニュアルのようなスマートさもありません。
けれど、その「言葉の揺らぎ」の中に、その人の歩んできた跡が宿るのです。
以前、ある静かな場所にある、小さな喫茶店に立ち寄ったことがあります。
店主は決して雄弁ではなく、むしろ接客としては少し不器用に見える方でした。
けれど、運ばれてきたコーヒーの湯気や、絶妙なタイミングで置かれる伝票、そして短い挨拶。
その一挙手一投足に、言葉を超えた「その人なりの仕事」が滲み出していたのです。
上手さではない、その人自身がそこに居るという安心感。
あぁ、この人は自分の言葉で働いているのだな、と深く納得したことを覚えています。
その静かな立ち居振る舞いは、どんな立派なプレゼンテーションよりも強く、私の心に残りました。
借り物の言葉は、自分を守ってくれる
一方で、借り物の言葉にも大切な役割があるのだと思います。
一言で言えば、それは「安全」だからです。
時代の潮流に乗った言葉。
誰もが認める偉人の名言。
確立された成功法則。
それらを使っている限り、大きく間違えることはありません。
批判を浴びるリスクも低く、たとえ結果が出なくても「この理論通りにやったのだから」と、責任をどこか遠くに置くことができます。
借り物の言葉は、いわば自分を守ってくれる「盾」のような存在です。
私自身、その安全な場所に留まり、型通りの言葉を並べて安心していた時期が長くありました。
けれど、いざ「自分の言葉」で語ろうとすると、急に足元が心許なくなります。
なぜなら、言葉の奥に隠れていた自分自身が、剥き出しになってしまうからです。
考えの浅さ。
隠しておきたい未熟さ。
整理のつかない矛盾や、迷い。
そうしたものがすべて露呈してしまう怖さ。
自分の言葉で働くということは、その「かっこ悪さ」を引き受ける勇気を持つことなのかもしれません。
その怖さを避け続け、借り物の盾だけで身を固めてしまったら。
いつしか、仕事そのものまで「借り物」になってしまうのではないか。
最近の私は、そんな静かな危機感を抱くようになりました。
「何を話すか」より、「なぜその言葉を話すのか」
最近の私は、「何を言うか」という技術よりも、「なぜ今、自分はこの言葉を口にしようとしているのか」という背景を意識するようになりました。
会議の場でも、誰かへの提案でも、部下への指導でも。
「これは本当に、自分の実感を伴った言葉だろうか」
「それとも、その場の空気を壊さないための、それっぽい正解を並べているだけではないか」
そう自分に問いかけると、かつては淀みなく出てきたはずの言葉が、ふと止まってしまうことがあります。
効率が求められる現場では、すぐに答えが出せないことは「弱点」に見えるかもしれません。
けれど私は、その「言葉に詰まる時間」こそが、働く人間にとって最も尊い時間なのではないかと思うのです。
外にある正解を取りに行くのではなく、自分の中の深い場所に潜り、言葉を探しに行こうとしている証拠だからです。
思考を止めず、自分の内側を通過させてから発せられた言葉には、独特の「跡」が残ります。
その跡があるからこそ、人は言葉の奥にある「その人」を感じ、信頼を寄せるのではないでしょうか。
早く、正しく答えを出す人。
もちろんそれもプロフェッショナルの一つの姿です。
けれど、本当に誰かの心を動かし、長く記憶に残るのは、不器用であっても「自分の心と、言葉の間に嘘がない人」なのだと、今の私は信じています。
働くとは、「自分を言葉にしていくこと」
私は最近、働くという行為そのものが、「自分という人間を、少しずつ言葉にしていく過程」なのではないかと思うことがあります。
どんな価値観を大切にし、何を譲りたくないのか。
どんな眼差しで世界を見つめ、どんな人間でありたいのか。
日々のささやかな仕事の積み重ねを通して、私たちは自分という存在を形にしていく。
だからこそ、仕事というアウトプットには、隠しようもなくその人の「人格」が滲み出るのだと思うのです。
もちろん、私自身もまだ、その途上にいます。
ふとした瞬間に、耳当たりの良い流行の言葉に逃げたくなることもあります。
分かりやすい「正解」で、自分を飾りたくなることもあります。
それでも、最近は「うまく話すこと」よりも、「そこに自分の実感はあるか」という問いを、何よりも大切にしたいと願っています。
たとえ洗練されていなくても。
たとえ、たどたどしく不器用であっても。
自分で考え、迷い、悩み抜いて選び取った言葉には、その人にしか出せない「空気」が宿ります。
それは、朝の街角に漂う焼きたてのクロワッサンの香りのように、派手さはないけれど、触れた人をふっと安心させるもの。
あるいは、静かな山あいの温泉から立ちのぼる湯気のように、言葉数は少なくとも、冷えた心を芯から温めてくれるもの。
そんな「空気」を纏った働き方に、一歩ずつでも近づいていきたい。
そう思うのです。
「自分の言葉で働く」とは何か
「自分の言葉で働く」とは、自分の人生に起こるすべてを、丸ごと引き受けることなのかもしれません。
うまくいったことだけでなく、迷い、立ち止まり、未熟さに打ちひしがれた経験。
そのすべてを自分の中で大切に育て、そこから溢れ出した言葉で仕事をすること。
それは、決して楽な道ではありません。
誰かの用意した「正解」を借りている方が、ずっと効率的で、傷つかずに済むからです。
けれど、本当に誰かの心に深く残る仕事というのは、案外、そんな「上手な言葉」の先ではなく、その人自身が必死に手探りで見つけた「体温のある言葉」から生まれているのではないでしょうか。
だから私は今日も、すぐに答えを出そうとする自分を少しだけなだめて、胸の中にある小さな違和感に耳を澄ませていたいと思います。
まだ、十分にはできていません。
これからも、何度も借り物の言葉に逃げ込みたくなるのでしょう。
それでも、自分で考えた「跡」のある仕事をしていたい。
不器用でも、自分自身の温度が宿った言葉を紡いでいたい。
そんなことを、最近よく考えます。
あなたにとって、 「自分の言葉で働く」とは、どんな状態を指すのでしょうか。
まとめ
- 自分の言葉とは、経験を通過したあとに残る“体温のある言葉”ではないか
- 借り物の言葉は安全だが、自分の言葉には迷いや未熟さも滲む
- 働くとは、「何を言うか」以上に、「何を信じているか」を言葉にしていく行為なのかもしれない
併せて読みたい一冊
『仕事は楽しいかね?』デイル・ドーテン
成功法則を教える本というより、「仕事との向き合い方」を柔らかく揺さぶってくる一冊です。
正解を探すのではなく、自分なりの試行錯誤を続けることの意味を、静かに考えさせられます。
もっと深めるためのメモ
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