【課題1062】
私たちはなぜ、『自分が望む自分』と実際の行動がズレてしまうことがあるのか。自分なりの考えをまとめてください。
ふと一日の終わりに、
「今日は、思っていた自分とは少し違ったな」と感じることがあります。
できなかったことに目が向く日もあれば、
なぜそうなったのかを、うまく言葉にできない日もある。
そのズレを、すぐに正解で埋めようとするのではなく、
少しだけそのまま眺めてみると、何が見えてくるのでしょうか。
- 「整った自分」と「揺らぐ自分」
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理想を描く場所と、行動を選ぶ場所。その環境の違いがもたらす自然な反応について。
- 「借りてきた理想」と「無意識の本音」
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私たちが目指している姿は、本当に自分自身の願いなのか。ズレの中に隠れた「本当の選択」に光を当てます。
- 「欠陥」ではなく「余白」として
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効率や正解を求めるのを一度休み、ズレを自分らしさを育むための大切な余白として捉え直します。
この記事は、理想の自分と現実の行動のズレについて、セールスパーソンおよびビジネス指導者としての立場から、私の考え方を整理し共有するものです。
そのズレは、本当に埋めるべきものなのか
「こうありたい」と思っている自分と、日々の行動がどこか噛み合っていない。
そんな感覚を覚えたことは、きっと一度や二度ではないはずです。
むしろ、営業という仕事に向き合い、他者との関係を深めようとすればするほど、そのズレは鮮明になるのかもしれません。
理想を描くことはできる。
けれど、その通りには振る舞えない自分がいる。
このとき私たちは、そのズレを「未熟さ」や「甘さ」として、早急に片付けてしまいがちです。
まるで、成分のわからない源泉を、ただの「濁り」として排除してしまうように。
しかし、本当にそうなのでしょうか。
その濁りの中にこそ、その人だけの「成分」が眠っている。
そんな可能性はないでしょうか。
理想は静かな場所で生まれ、行動は揺らぎの中で選ばれる
少し視点を変えてみると、理想の自分というのは、ある特定の環境の中で描かれていることに気づきます。
それは、誰にも急かされず、時間に余白があり、自分の内側にゆっくりと意識を向けられるときです。
いわば、波立たない水面のような“整った状態”の中で思い描かれた自分像です。
一方で、日々の行動はどうでしょうか。
営業の現場には、予測できない出来事や、相手の感情の揺れ、そして自分自身の迷いが常に存在しています。
刻一刻と変わる状況の中で判断し、時には押し流されそうになりながら、それでも何かを選び続けている。
つまり、理想は「整った自分」が描き、行動は「揺らいでいる自分」が決めている。
この前提の違いを考えると、両者のあいだにズレが生まれるのは、むしろ生命力がある証拠であり、自然なことなのかもしれません。
その理想は、本当に“自分のもの”なのか
もう一つ、見落としがちな視点があります。
それは、「自分が望んでいる」と思っているその理想が、どこまで本当に自分自身の願いから生まれたものなのか、という問いです。
営業という道を歩む過程で、私たちは多くの価値観に触れてきました。
成果を出し続ける人の思考、効率的な振る舞い、業界で良しとされる常識。
そうしたものを学び、取り入れていくことは成長に欠かせないプロセスです。
けれど、その過程で気づかないうちに、「社会から見た、正解としての自分像」が、少しずつ自分を覆っていくことがあります。
それは、どこか借りてきた言葉で書かれた、自分に似ていない台本を読んでいるような感覚に近いかもしれません。
一方で、実際の行動は、もっと個人的で、もっと正直な選択をしようとします。
本当は目の前の人の話を最後まで聴きたいと思っているのに、効率という「理想」が耳元で急かしてくる。
立ち止まって考えたい瞬間なのに、前に進むべきだという「常識」が背中を叩く。
そこに現れるズレは、決して「弱さ」ではありません。
むしろ、教え込まれた理想をすり抜けてこぼれ落ちる、“まだ言語化されていない本音”が、そこに存在している証なのです。
ズレは『欠陥』ではなく『余白』なのかもしれない
もし、理想と行動のズレが、
「整った環境で描かれた自分」と「揺らぎの中にいる自分」の境界線に生まれ、
さらに「言語化された理想」と「まだ言葉になっていない本音」のあいだにあるものだとしたら。
それは、単純に埋めるべき“欠陥”とは言い切れないのではないでしょうか。
むしろ、そのズレの中にこそ、自分らしさの手がかりがあるように思えてなりません。
すぐに理想に合わせようと、その隙間を埋め急ぐのではなく、
「なぜ自分は今、この行動を選んだのか」と、静かに見つめてみる。
そこには、恐れや迷いだけでなく、あなたが無意識に守ろうとしている価値観や、心の奥底で大切にしている何かが、冬の静かな山道にひっそりと佇む猫のように、じっとして息を潜めていることがあります。
その微かな息遣いに耳を澄ませる。
その積み重ねが、やがて「自分にしかできない在り方」につながっていくのかもしれません。
営業という仕事の中で見える、このズレの意味
営業の世界では、「理想通りに行動できるか」が成果に直結するように語られることもあります。
もちろん、一定の再現性や習慣は重要です。
しかし、すべてを理想通りに整えようとしたとき、どこかで自分の中に「不自然さ」という歪みが生じることもある。
むしろ、そのズレを感じる瞬間こそが、既存の型を脱ぎ捨てて、自分のスタイルを見つける入口なのではないかと感じることがあります。
誰かの成功パターンをなぞるだけではなく、
自分の中にある違和感や、葛藤の輪郭を丁寧になぞってみる。
そこにしか、あなたにしか見えてこない景色があるはずです。
それは、すぐに目に見える数字として現れるものではないかもしれません。
けれど、その違和感を切り捨てずに、問いを持ち続けること。
その「あり方」の厚みが、長い目で見れば、お客様とのあいだに生まれる信頼という名の、大きな差になっていくようにも思えます。
そのズレを、どう扱いたいのか
夜、少しぬるめのお湯に浸かりながら、今日の自分を振り返ることがあります。
思い描いていた自分とは違う選択をしていた場面も、いくつか浮かんできます。
けれど最近は、その一つひとつを無理に正そうとはせず、ただ眺めるようにしています。
そのときの自分は、何を感じていたのか。
何を守ろうとしていたのか。
そうやって見つめていくと、理想に届いていない自分の中にも、確かに一貫した「何か」があるように感じられることがあります。
まだ十分には言葉にできていないし、整理もされていません。
私自身、これからもずっと、このズレと付き合いながら歩んでいくのだと思います。
それでも、その曖昧さの中にこそ、自分なりの在り方が育っていく。
そう信じたいのです。
理想と現実のあいだに生まれるこのズレを、
あなたは「埋めるべきもの」として扱うでしょうか。
「自分を知るための余白」として、しばらくそのままにしておくのもよいのではないでしょうか。
まとめ
- 理想は整った環境で描かれ、行動は揺らぎの中で選ばれるためズレが生まれる
- 理想には他者の価値観が混ざり、行動には言語化されていない本音が現れる
- ズレは欠陥ではなく、自分らしさを知るための余白として捉えられる可能性がある
併せて読みたい一冊
『働くことがイヤな人のための本』中島義道
「立派な社会人」という借り物の理想に苦しむ人へ、哲学者である著者が本音の対話を試みる本です。
営業という役割を演じる中で感じる「不自然さ」や「違和感」を、むしろ人間としての誠実さとして捉え直す勇気を与えてくれます。
もっと深めるためのメモ

- ズレの正体をさらに深掘りしてみる
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- 私たちが感じる「理想の自分」は、本当に自分の内側から生まれているのか
- 行動できないとき、その裏側で自分は何を守ろうとしているのか
- 「できない理由」を考えることは、本当に前に進むことにつながるのか
- ズレの扱い方を問い直してみる
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- ズレを「埋める」ことと「受け入れる」ことは、どちらが成長につながるのか
- 違和感を感じたとき、すぐに修正するべきなのか、それとも見つめるべきなのか
- 自分との不一致を抱えたまま、前に進むことはできるのか
- 「理想」という概念そのものを考えてみる
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- そもそも、理想の自分を持つことは必要なのか
- 理想を持つことで、自分は自由になっているのか、それとも縛られているのか
- 理想を手放したとき、自分の行動はどう変わるのか
- 営業・対人に寄せてみる
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- 自分らしく在ることと、相手に合わせることは両立するのか
- 「成果が出る自分」と「納得できる自分」がズレたとき、どちらを選ぶのか
- 紹介が生まれるとき、自分はどんな状態で相手と向き合っているのか
- 在り方から考えてみる
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- 理想に届かない自分を、それでも受け入れるとはどういうことか
- 「こうありたい」と思い続けること自体に、どんな意味があるのか
- 自分は、どんな状態のときに「自分らしい」と感じているのか