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「自分にしかできないこと」はどこにあるのか──独自の営業手法を問い続ける仕事の在り方

【課題3996】
『自分にしかできないこと』とは、見つけるものなのか、それとも問い続けるものなのか。自分なりの考えをまとめてください。

「自分にしかできないことを見つけよう」
そんな言葉は、仕事の世界でも人生の話でも、あちこちで耳にするものです。

けれど私は、この言葉をそのまま受け取ることに、少しだけ違和感があります。
それは、どこか遠い場所に眠っている“完成された答え”を見つけにいくようなものなのでしょうか。
それとも、日々の営みの中で何度も自分に問い直し、少しずつ輪郭を与えていくものなのでないのでしょか。

ちょうど、お気に入りのパン屋で焼き立てのクロワッサンを手に取るときのように。
あの幾重にも重なった繊細な層は、一朝一夕に出来上がるものではなく、温度や湿度を確かめながら、何度も生地を折り込み、問いを重ねた先に生まれるものです。

今回は、「自分にしかできないこと」とは、見つけるものなのか、それとも問い続けるものなのか。
25年という営業の月日の中で、私自身が感じてきたことを手がかりに、静かに考えてみたいと思います。

この記事の視点
「見つける」ことよりも、「更新し続ける」ことに目を向けてみる

一度手に入れたら終わりの「正解」を探すのではなく、時代の変化や自分の成長に合わせて、自分らしさを何度も描き直していく。そのプロセスの重要性について考えます。

「自信のなさ」を、誠実さの証として受け入れてみる

自信満々になれないのは、あなたが仕事に対して真剣であり、その重みを知っているからかもしれません。迷いながら進むことの価値を、YOASOBIの楽曲や漫画『ブルーピリオド』を通して紐解きます。

「独自性」という源泉を、枯らさないための在り方

長い営業経験の中ででたどり着いた、既存の枠に囚われない独自のスタイル。それを単なる手法(機能)として守るのではなく、常に新しい問いを注ぎ込み続ける「在り方」について静かに見つめ直します。

この記事は「自分にしかできないこと」とは何かについて、セールスパーソンおよびビジネス指導者としての立場から、私なりの考えを整理し共有するものです。

目次

「自分らしさを見つければいい」という言葉への違和感

私は以前、「自分にしかできないこと」は、宝探しのようにどこかに存在しているものだと思っていました。
まだ見つかっていないだけで、自分の中に固有の武器や個性が眠っていて、それを掘り当てることができれば、暗闇から抜け出せる。

そんなふうに考えていた時期がありました。

たしかに、その発想は甘美で、分かりやすいものです。

自分の強みを知る。
自分の個性を知る。
自分らしい戦い方を見つける。

それさえ手に入れば、もう迷わなくて済むような気がします。

けれど、実際の仕事の現場は、それほど静止したものではありませんでした。
何かひとつの「正解」を見つけたとしても、その手応えは驚くほど早く指の間からこぼれ落ちていきます。
むしろ、見つけたと思った瞬間に、その答えの鮮度は失われ、少しずつ古くなっていくことすらあります。

「これが自分だ」
「これが自分にしかできないことだ」

そう言い切れたほうが、心は安定します。
しかし、現場に立ち続け、多くのお客様と向き合っていると、その「言い切り」の中に潜む危うさを感じずにはいられません。

自分のやり方がうまくいっているときほど、私たちはそれが「普遍的な真理」であるかのような錯覚を持ちます。
けれど、目の前のお客様の悩みも、社会の価値観も、季節が移ろうように少しずつ変わっていきます。

昨日までの“唯一無二”が、明日には誰にでもできる“ありふれたもの”に変わっているかもしれない。

だから私は、「自分にしかできないこと」を、一度手に入れれば安心できる「所有物」として持つことに、少し慎重でありたいのです。

『群青』が突きつけてくる、正直すぎる問い

YOASOBIの『群青』の歌詞に、こんな一節があります。

周りを見たって 誰と比べたって
僕にしかできないことはなんだ
今でも自信なんかない それでも

私はこの言葉に、とても強く惹かれます。
なぜかといえば、この一節の中には、「自分にしかできないこと」を必死に問いながらも、なお「自信なんかない」と言い切る、震えるような正直さがあるからです。

ここに、私は大きな救いを感じます。
私たちはつい、「自分にしかできないことを持っている人」は、鋼のような意志を持ち、一点の曇りもない自信に満ちているものだと思い込みがちです。

けれど、長く仕事を続けてきて思うのは、本当はそんな人ばかりではない、ということです。

むしろ、自分にしかできないことを真剣に問い続けている人ほど、簡単には自信満々になれないのではないでしょうか。
なぜなら、その問いの重さを知っているからです。

「自分の提案は、本当にお客様の人生に意味を持つのか」
「独りよがりな手法になっていないか」
「時代の変化に、自分の感性は置いていかれていないか」

その問いから逃げずにいる人ほど、自分の足元の不確かさを嫌というほど自覚しています。
だからこそ、この「今でも自信なんかない それでも」という言葉は、虚勢を張らない誠実な響きを持って私の胸に届くのです。

自信があるから進めるのではない。
自信がなくても、それでも「問い」という重たい荷物を手放さずに進もうとする。

その足跡こそが、結果として、その人にしか描けない唯一無二の軌跡になっていくのかもしれません。

『ブルーピリオド』が描いているのは、才能よりも問いの継続なのだと思う

関連して、漫画『ブルーピリオド』にも、私は同じような手触りを感じます。
あの作品を読んでいると、それは「天賦の才能を見つける物語」というよりも、「問い続ける痛みから逃げない物語」に見えてきます。

主人公の八虎は、ある日突然魔法のような答えを手に入れて、一気に高みへ駆け上がるわけではありません。

「なぜ自分は描くのか」
「自分は何を表現したいのか」
「自分にはその資格があるのか」

そうした、正解のない問いに何度も打ちのめされながら、それでもキャンバスに向かう。
そこに、この作品の、そして表現することの真実味があるように思うのです。

営業の仕事も、これに似ています。
「これが成約の黄金律だ」と一度信じ切れたら、どれほど楽でしょうか。

けれど、実際にはそうではありません。
昨日の手応えが、今日には空虚なものに変わることもあります。

それでも、資料を整える。
それでも、現場に立つ。
それでも、目の前の人の言葉に耳を澄ませる。

その、泥臭いまでの積み重ねの中でしか、自分という人間の輪郭は浮き彫りになってきません。

だから私は、「自分にしかできないこと」は、どこかに完成された形で眠っているものではなく、問い続け、動き続ける過程の中でしか立ち上がってこない「現象」のようなものなのだと思っています。

誰もやらない手法で仕事をしてきたという実感

私自身、これまでの営業人生を振り返ると、かなり独特なやり方で歩んできた自覚があります。
少なくとも、ビジネス書や研修で教わるような「王道の営業手法」とは、ずいぶん違う景色を見てきました。

世の中には、効率的な営業ノウハウがあふれています。
書店に行けば成功法則が並び、SNSを開けばもっともらしい情報が流れてくる。
そんな時代の中で、どれだけ調べても、自分が辿ってきた足跡に近いものは、不思議なほど見当たりません。

そう考えると、それは確かに「自分にしかできないこと」と呼べるのかもしれません。
少なくとも、現在の私にとっては、それが唯一の立脚点になっています。

ただ、私はその独自性を、胸を張って誇らしげに語りたいわけではありません。
なぜなら、その形にたどり着くまでの時間は、決して軽やかで、スマートなものではなかったからです。

うまくいかなかった時期も、当然ありました。
思い出したくもないような失敗も、自分の無力さに打ちひしがれた夜もあります。

ジャングルの中を、地図も持たずにひたすら遠回りしているような感覚。
「辞めたい」という言葉が、何度喉元まで出かかったか分かりません。

やり方が見えない。結果も出ない。
周囲のスマートな方法が、正しく、輝いて見える。
そんな暗闇を、私は何度も通り抜けてきました。

だから今、手元に残っている形は、何かを華やかに“見つけた”というよりも、問い続け、削られ、泥にまみれながら試行錯誤を繰り返した果てに、ようやく「残ってしまったもの」という感覚に近いのです。

「独自性」は、誇りであると同時に、とても不安定なものでもある

ここでひとつ、今の私が大切にしている視点があります。
それは、「自分にしかできないこと」を一度手にしたとしても、それは決して永遠ではないということです。

私はこれまで、自分なりのやり方をつくってきました。
それは確かに、他の誰とも違うものかもしれません。
でも、その違いが、明日も同じ価値を持ち続ける保証はどこにもありません

むしろ今の時代、良いものほどすぐに広まり、珍しいものほど模倣され、均一化されていきます。
「独自性」とは、ある日突然、その輝きを失ってしまう危うさを孕んだものです。

トークスクリプトなんて、生成AIが簡単に作ってしまえるような時代。
たとえ今は自分しか持っていない手法だとしても、AIに学習されたその瞬間、もう過去のものになってしまうだろうと思っています。

そう考えると、「自分にしかできないこと」を、既得権益のように握りしめるのは、とても危険なことのように思えます。
それは一度取得すれば安心できる免許証のようなものではなく、その都度問い直していかなければ、すぐに鮮度が失われてしまうものだからです。

私は今でも、自分のやり方に100%の自信を持っているわけではありません。

「本当にこのままでいいのか」
「独自性に執着して、本質を見失っていないか」
「更新を止めた瞬間に、私の仕事はただの化石になるのではないか」

そんな問いが、常に私の背中を追いかけてきます。
正直に言えば、十分にはできていないと思います。

けれど、「常に新しくありたい」という願いだけは、枯らさずに持っていたいのです。
守るべきは、今のやり方ではなく、更新し続けようとする「在り方」そのものなのだと思います。

問い続けるということは、変わり続けることを引き受けるということ

「自分にしかできないこと」を問い続けるというのは、実はとても疲れることです。
なぜならそれは、今の自分に満足しきらないということであり、安住できる場所を持たないということでもあるからです。

昨日までの自分の正解を、今日もう一度疑う。
うまくいっている方法であっても、それを絶対的な型として固定化させない。

これはなかなかしんどい営みです。
けれど、私はそこからは逃げない自分でありたいのです。

固定された自分を守ることよりも、問いによって揺さぶられ続けるほうを選びたい。
少なくとも、そうありたいと思っています。

温泉も少し似ているのかもしれません。
源泉かけ流しの湯に身を沈めていると、一見すると同じ湯船に見えても、そこには常に新しい湯が流れ込んでいます。
昨日の湯でも、さっきの湯でもない。
常に入れ替わり、溢れ出しながら、その場を清らかに保っている。

仕事における「独自性」も、もしかしたらそういうものなのかもしれません。

変わらない芯を持ちながら、流れ込み続ける新しい変化を拒まない。
留まり続けることではなく、更新され続けることによって、その人らしさが保たれる。

私はそんな、たゆたう水のような在り方に、どこか惹かれます。

小さな違和感を手放さない人でありたい

「自分にしかできないこと」を問い続けるために必要なのは、大きな才能よりも、むしろ小さな違和感を見逃さないことなのかもしれません。

なぜ、自分はこのやり方にしっくりこないのか。
なぜ、みんながやっていることを、そのまま真似できないのか。
なぜ、うまく言葉にできないけれど、この方法ではない気がするのか。

そういう違和感は、時に面倒なものです。
周囲と足並みを揃えられなくなることもありますし、ひどく遠回りをしているように思えることもあります。

でも、その違和感こそが、自分だけの問いの入口なのではないでしょうか。

猫が知らない場所に入るとき、少し立ち止まりながら、慎重に匂いを確かめて進むように。
私たちもまた、自分の感覚を置き去りにしないほうがいいのだと思います。

勢いよく走ることよりも、立ち止まって「自分の匂い」を確かめることが、結果として自分らしい道につながることもある。

仕事の答えは、いつも会議室の中や、誰かが書いた教科書にあるわけではないのだと思います。
ときには、少しだけ呼吸を整えながら、自分はいま何に違和感を持っているのかを静かに考える
そんな時間が必要なのかもしれません。

「答えを持つ人」より、「問いを手放さない人」でありたい

この課題について考えていると、最後にはいつも、「自分はどうありたいのか」というところに戻ってきます。

私は、いつも鮮やかな答えを提示できるような人間ではありません。
堂々と「これが唯一の正解です」と言い切れることも、ほとんどありません。
むしろ、迷いながら、問いながら仕事をしている時間のほうがずっと長い

けれど、だからこそ思うのです。
私は、“答えを持っている人”であることよりも、“問いを手放さない人”でありたい

自分にしかできないことは何か。
その問いを、簡単にブランド化しない。
簡単に固定化しない。
簡単に言い切らない。

今でも自信なんかない。
それでも考える。
それでも更新しようとする。
それでも目の前の人に向き合い続ける。

十分にはできていません。
けれど、少なくともそうありたいという願いだけは、手放さないようにしたいと思うのです。

静かな問いとして

「自分にしかできないこと」は、見つけるものなのか、それとも問い続けるものなのか。
今の私は、後者に少し心が傾いています。

もちろん、何かを見つけたと感じる瞬間はあるのでしょう。
けれど、それは終着点ではなく、その時点での途中経過にすぎないのだと思います。
本当に大切なのは、見つけたことそのものではなく、その後も問いを持ち続けられるかどうかではないでしょうか。

仕事の中で、自分のやり方を持つことは大切です。
でも、それ以上に大切なのは、そのやり方に安住しないことなのかもしれません。

独自性を守ることではなく、独自性を更新し続けること。
その営みの中にしか、その人らしい仕事は生まれないように思うのです。

では、いまの自分はどうでしょうか。

私は、どんな問いをまだ手放していないだろうか。
私は、どんな違和感を見過ごさずにいたいだろうか。
そして、これからどんな人間として、どんな仕事をしていきたいのだろうか。

すぐに答えが出なくても、たぶんそれでいいのだと思います。
大切なのは、問いが生きていることなのかもしれません。

まとめ

この記事の要点
  • 「自分にしかできないこと」は、一度見つけて終わる答えではなく、問い続ける中で更新されるものだと思います。
  • 唯一性は自信満々の中から生まれるのではなく、迷いと苦しさを抱えながら積み重ねた時間の先に立ち上がることがあります。
  • 仕事において大切なのは、“答えを持っている人”であることより、“問いを手放さない人”であり続けることではないでしょうか。

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『ブルーピリオド』山口つばさ
「才能があるかないか」ではなく、「何を問いながら続けるのか」という視点で読むと、仕事にも深くつながる作品です。
自分らしさや唯一性を、苦しさごと引き受けながら育てていく感覚を、やわらかく、しかし鋭く考えさせてくれます。

もっと深めるためのメモ

「独自性」と「更新」の関係を掘り下げる
  • 「自分らしさを守ること」と「自分を変え続けること」は、どのように両立できると思うか。
  • 仕事において“独自性”が古くなるのは、どのようなときだと思うか。
  • 自分にしかできないことを、なぜ人は固定したくなるのか。
「自信がないこと」の意味を見つめ直す
  • 自信がないまま進み続ける人の強さとは、どのようなものだと思うか。
  • 「不安があること」は、仕事においてどのような価値を持ちうるか。
  • 自信満々であることと、覚悟を持っていることは、どう違うと思うか。
「比較」から自由になる視点を考える
  • 周りと比べることは、本当に悪いことなのか。
  • 他人との比較をやめてもなお、自分を高め続けるには何が必要だと思うか。
  • 「誰と比べたって分からない問い」を持つことは、なぜ大切なのか。
「違和感」を仕事の資源として捉え直す
  • 仕事における小さな違和感を見逃さないためには、どのような姿勢が必要だと思うか。
  • 周囲と同じやり方に馴染めないことは、弱さなのか、それとも可能性なのか。
  • 違和感を“わがまま”で終わらせず、価値に変えていくには何が必要だと思うか。
「在り方」としての仕事を見つめる
  • どんな成果を出すかより先に、どんな人として働くかを問うことは、なぜ大切だと思うか。
  • 仕事において「問いを手放さない人」とは、どのような人だと思うか。
  • 自分の仕事を通して、自分はどんな人間になっていきたいのか。
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この記事を書いた人

このサイトは、ビジネスの課題について思考を深めるノートです。
生命保険営業の現場経験と、業界を越えたビジネス指導の視点から、
正解のないビジネスの課題について考えています。

【好きなもの】猫、温泉、クロワッサン

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