【課題357】
良いリーダーに求められる『聴く力』とは何か。
相手の話を「聴いているつもり」なのに、なぜか本音が出てこない。
そんな、言葉にできない違和感を覚えたことはないでしょうか。
相槌も打っている。
否定もしていない。
それなのに、目の前の相手との間に、透明な膜が張られているような感覚。
その正体は、技術の巧拙ではなく、
私たちが無意識に選んでいる「立っている場所」にあるのかもしれません。
- 「どこに立って聴くか」という選択
-
リーダーという立場を一度降りて、相手と同じ地平に立つ勇気について。
- 「理解」をあえて遅らせる
-
すぐに結論を出さず、言葉にならない想いが溢れてくるのを待つ「空白」の時間。
- 「正しさ」を脇に置く
-
自分の正解で相手を矯正しようとせず、ただそこにある景色を共に眺める姿勢。
この記事は、リーダーに求められる「聴く力」について、心理的安全性という観点から、セールスパーソンおよびビジネス指導者としての立場で私の考えを整理し共有するものです。
「聴いているのに伝わらない」という違和感
リーダーとしてメンバーと向き合っていると、「しっかり話は聴いているはずなのに、どこか距離がある」と感じる瞬間があります。
時間は十分に取っている。
相手の話に相槌を打ち、内容も正しく理解している。
それでも、相手がどこか言葉を選んでいるような、心の奥底までは踏み込んできていないような……。
そんな、砂を噛むような感覚が残ることはないでしょうか。
この違和感は、おそらくコミュニケーションの技術不足ではありません。
むしろ、「聴く」という行為そのものの捉え方に、何か大切なものを見落としているのではないか。
そう感じるのです。
心理的安全性は「許されている感覚」ではない
近年、「心理的安全性」という言葉をあちこちで耳にするようになりました。
「何を言っても大丈夫な環境」と説明されることが多いですが、実際にはもう少し、指の間をすり抜けてしまうような繊細なものではないでしょうか。
それは単に、「発言が許されている」という許可の状態ではなく、
「どんな立場で話しても、そのまま受け止められる」という静かな確信に近い感覚。
評価される前提でも、正される前提でもなく、
ただ「そのままでいていい」という空気がそこに流れているかどうか。
そして、その空気をつくっているのは、強固な制度やルールではありません。
目の前にいるリーダーの「聴き方」そのもの。
そこから漏れ出るわずかな気配が、その場の温度を決めているのだと思います。
「立場を合わせる」という発想
では、その空気はどのように生まれるのでしょうか。
一つのヒントは、「相手と立場を合わせる」という感覚にあるように思います。
リーダーという役割を担っている以上、相手から見れば、自分は常に「上の立場」に映ります。
これまでの経験、積み上げた知識、背負っている責任。
そのどれもが、意識せずとも私たちの視点を「高い場所」に固定してしまいます。
その高い場所から話を聴こうとすると、相手の言葉はどうしても「判断の対象」になってしまう。
それは正しいか、間違っているか。有益か、そうでないか。
しかし、聴かれる側からすれば、その「裁かれる構図」自体が、すでに安全ではないのかもしれません。
だからこそ、一度その場所から降りてみる。
評価する側という特等席を捨てて、相手と同じ地平に自分を移動させてみる。
「この人は、どんな景色の中でこの言葉を発しているのだろうか」
そう想像しながら聴くとき、昨日までと同じはずの言葉が、まったく違った響きを持って聞こえてくることがあります。
理解する前に「留まる」
もう一つ、大切にしたいのは、「すぐに理解しようとしない」という姿勢です。
私たちはつい、話を聴きながら頭の中で意味づけをし、最短距離で結論を出そうとしてしまいます。
しかし、そのプロセスが早すぎると、相手の言葉は届く前に切り取られ、加工されてしまう。
特に、日々決断を求められるリーダーにとって、「早く理解すること」は優秀さの証であり、習慣になっていることも多いでしょう。
けれど、“聴く瞬間”だけは、それとは正反対の力が必要なのかもしれません。
すぐに整理せず、評価せず、結論づけず。
ただ、その未完成な言葉のそばに留まり、「なぜ、この言葉がこの場所で生まれたのか」を考え続ける。
その「待つ時間」があることで、相手の奥底にある“まだ形にならない想い”が、ゆっくりと、けれど確かに外へと導き出されていくのだと感じます。
「正しさ」を一旦脇に置く
さらに言えば、「自分の正しさ」を一旦手放すことも、大切なことではないでしょうか。
リーダーである以上、最終的には組織の方向性を示す責任があります。
しかし、その責任感を「聴く場面」にまで持ち込んでしまうと、無意識のうちに相手の言葉を自分の正解へと矯正しようとしてしまう。
すると、相手は「何を話したいか」ではなく、「どう話せば正解か」を必死に探り始めてしまいます。
そうではなく、一度その重い責任を、自分の横に置いてみる。
同じ場所に立ち、同じ高さで、相手が見ている景色を眺めてみる。
その姿勢こそが、「ここでは評価されない」という深い安心感につながり、結果として、より本質的な対話が生まれていくのではないでしょうか。
聴く力とは「どこに立つか」という選択
ここまで考えてくると、「聴く力」とは単なるテクニックではなく、
“どこに立って相手と向き合うか”という、自分自身の選択のように感じます。
自分の立場のまま、遠くから相手を眺めるのか。
それとも、相手が立っている場所に、自分から一歩近づいていくのか。
その違いは、外からは見えないほどわずかなものかもしれません。
けれど、向き合っている相手には、決定的な温度差として伝わっています。
そのわずかな歩み寄りの積み重ねが、チームの空気を変え、
心理的安全性という、目に見えない土台を少しずつ形づくっていくのだと思います。
自分はどこに立っているのか
振り返ってみると、私自身もまだ、相手の立場に立ちきれていない自分に気づくことがあります。
ふとした瞬間に、自分の経験や価値観という物差しを持ち出し、
無意識のうちに「高い場所」から聴いてしまっている。
それでも、そうした自分の傲慢さに気づくたびに、
もう一度、立ち位置を静かに調整し直したいと思っています。
完璧にできているわけではありません。
けれど、少なくとも「今、自分はどこに立っているか」と問い続けることは、
リーダーとしての在り方を磨く、一生の習慣のように感じています。
立場を降りることは、決して弱さではありません。
むしろ、自分の役割に固執せず、相手の靴を履いて歩こうとする、リーダーとしての『しなやかな強さ』そのものだと思うのです。
自分への問いかけ
相手の言葉を、いま、どの立場で受け取っているだろうか。
そのとき、私は本当に、相手と同じ景色を見ようとしているだろうか。
そして、これから。
私はどんな在り方で、大切な人たちの話を聴いていきたいのだろうか。
まとめ
- 聴く力とは技術ではなく「どこに立つか」という在り方である
- 心理的安全性は「そのまま受け止められる感覚」から生まれる
- 相手と立場を合わせることで、本質的な対話が生まれる
併せて読みたい一冊
『謙虚なリーダーシップ』エドガー・H・シャイン
組織心理学の権威が、あえて「私は知らない、教えてほしい」と立場を降りる勇気を説いています。
「立場を合わせることは弱さではない」という問いに対し、これからの時代の「しなやかな強さ」としての答えを提示してくれる一冊です。
もっと深めるためのメモ
- 聴くことの限界に触れてみる
-
リーダーは、どこまで“聴くべき”なのか。
- 聴く“前提”を疑ってみる
-
そもそも人は、なぜ本音を話さなくなるのか。
- 立場という構造に踏み込んでみる
-
リーダーという立場は、本音を遠ざけるのか。
- “聴いた後”の在り方を考えてみる
-
聴いた内容を、リーダーはどう扱うべきか。
- 自分自身への内省
-
自分は、どんなときに人の話を“聴けなくなる”のか。
- 組織全体に広げてみる
-
“聴く文化”はどのように組織に根づくのか。
- 優しさと厳しさの境界を考えてみる
-
“受け止めること”と“甘やかすこと”は何が違うのか。