【課題125】
対話の場において、相手の表面的な情報ではなく「その人らしさ」を見極めるには、どのような質問が有効か。自分なりの考えをまとめてください。
人の本質に触れるとは、どういうことなのでしょうか。
目の前の人が語る、立派な経歴や鮮やかな実績。
それらを丁寧に繋ぎ合わせても、なぜか「その人自身」に触れられた気がしない。
そんな、手応えのない感覚を覚えたことはないでしょうか。
「その人らしさ」という、目に見えず、言葉にもなりにくい領域。
そこに静かに手を伸ばすための「問い」について、皆さんと一緒に考えてみたいと思います。
- 「言葉」ではなく「揺らぎ」に耳を澄ませる
-
流暢に語られる実績や経歴の背後にある、言葉に詰まる瞬間や曖昧な表現。その「編集しきれない断片」にこそ、その人らしさが宿っているという視点。
- 「正解」ではなく「前提」を問い直す
-
相手から「正しい答え」を引き出すのではなく、その人が無意識に持っている「正しさの基準」や「判断の軸」を共に見つめていくという視点。
- 「見抜く」のではなく「共に見える」場をつくる
-
一方的に相手を見極めようとするのではなく、問いを通じて相手自身もまだ気づいていない自分に触れていく。対話を「共創の場」として捉える視点。
この記事は、面接や対話において「その人らしさ」にどのように触れるかについて、セールスパーソンおよびビジネス指導者としての立場から、私の考え方を整理し共有するものです。
「良い質問」とは何だろうか
面接や対話の場で、「良い質問をすることが大切だ」という言葉を耳にします。
けれど、その「良い質問」とは、一体何を指しているのでしょうか。
経験や実績を引き出す問い。
強みや弱みを明確にする問い。
志望動機や価値観を確認する問い。
どれも欠かすことのできない、必要なプロセスです。
しかし、これらを丁寧に重ねるほどに、どこかで微かな違和感が生じることがあります。
それは、引き出された答えが、あまりにも「整いすぎている」と感じるときです。
相手が用意してきた、非の打ち所のないストーリー。
それは、あくまで“準備された自分”を確認しているに過ぎないのではないか。
そんな感覚が、私の中に静かに湧き上がります。
では、私たちが本当の意味で触れたいものは、何なのでしょうか。
それはおそらく、その人の内側に流れる「らしさ」です。
そしてその「らしさ」は、磨き上げられた言葉の中よりも、むしろ、まだ言葉にならない未完の思考の中に潜んでいるように思うのです。
人の本質はどこに現れるのか
では、「その人らしさ」は一体どこに現れるのでしょうか。
私は、それは“うまく説明できない部分”にこそ宿るのではないかと考えています。
人は、自分がすでに理解し、整理できていることについては、淀みなく語ることができます。
それは他者に伝えるために磨かれた、いわば「外向きの言葉」です。
一方で、自分でもよく分かっていない感覚や、言葉にしきれない想いについて語るとき、表現はどうしても曖昧になります。
しかし、その曖昧さの中にこそ、その人固有の判断基準や、まだ形にならない切実な価値観が潜んでいるのではないでしょうか。
私たちは、意識していることよりも、無意識に抱いている「前提」によって日々を形作っています。
そしてその前提は、流暢な説明の中には現れにくいものです。
だからこそ、「何を語るか」という情報の正しさ以上に、「どのように語るか」や「なぜその言葉を選んだのか」という揺らぎに、耳を澄ませる必要があるのだと感じています。
人は何を隠し、何を無意識に表しているのか
対話の場において、人はある種の“編集”を試みます。
評価されそうな側面を強調する
弱みや迷いを見せないようにする
筋の通った、納得感のある物語に整える
これは自分を守り、相手を尊重しようとする自然な営みであり、決して悪いことではありません。
しかしその一方で、人は無意識に「編集しきれないもの」を同時に差し出しています。
たとえば、
ふと言葉が詰まる、一瞬の沈黙
説明が急に抽象的になる部分
静かだけれど、妙に力の入るテーマ
脈絡がないようでいて、なぜか話したくなるエピソード
こうした断片には、その人自身もまだ十分に認識していない価値観や、過去の体験に紐づいた深い意味づけが顔を出しています。
本質に触れるとは、“語られた内容”を分析することではなく、その奥にある“語り方の揺らぎ”を、静かに受け止めていくことなのかもしれません。
「違和感」を起点にした問い
では、その見えにくい部分に触れるためには、どのような問いが有効なのでしょうか。
私が大切にしているのは、「違和感」に光を当てる問いです。
たとえば、
「これまでの選択の中で、後から振り返って『あのとき、何か違和感があったな』と感じたことはありますか?」
この問いには、あらかじめ用意された正解がありません。
そして、多くの場合、即答しにくい問いでもあります。
なぜなら、人は「成功」や「失敗」という結果については整理して語ることができますが、
「違和感」という微かな感覚は、言語化されずに心の奥に置かれたままになっていることが多いからです。
しかし、その言葉にならない違和感こそが、その人の内側にある“譲れない基準”を浮かび上がらせます。
なぜ、そこで心がざわついたのか
そのとき、何を優先しようとしたのか
結果として、それをどう自分の中で位置づけているのか
こうした対話の重なりの中で、その人の価値観や判断の癖が、輪郭を持って少しずつ見えてきます。
「正しさの定義」を問う
もう一つ、深い対話の入り口になると感じているのは、「正しさの基準」に触れる問いです。
たとえば、
「そのとき、なぜそれが自分にとって『正しい』と思えたのですか?」
人は、何かを選択し行動するとき、必ずどこかに自分なりの「正しさの基準」を持っています。
ただし、その基準は当たり前すぎて、本人も自覚していないことが多いものです。
周囲の期待に応えることが正しいのか
自分の納得感を貫くことが正しいのか
目に見える結果を出すことが正しいのか
たとえ不器用でも、過程が誠実であることが正しいのか
同じ「努力」という行動であっても、その背後にある“正しさの定義”によって、その人の在り方は大きく異なります。
この問いは、単なる事実の確認ではありません。
その人の内側にある「判断の軸」を、共に見つめ直すための試みなのです。
言葉の奥にある前提に触れる
対話の中で私が意識しているのは、「一段深く聞くこと」です。
たとえば、相手が「それは大事だと思っています」と語ったとき。
そこで言葉を止めてしまうのではなく、
「なぜ、それを大事だと感じるのでしょうか?」
と、問いを重ねていきます。
さらに、
「それはいつ頃から、そう思うようになったのですか?」
「そう思うようになった、きっかけは何だったのでしょうか?」
と続けていく。
このプロセスは、表面的な価値観を確認する作業ではありません。
その価値観が、どのような経験や感情を経て形づくられてきたのか、その背景にある「前提」に触れていく試みです。
人の信念は、多くの場合、過去の体験や心の動きと深く結びついています。
そしてそれは、一度の問いだけで簡単に見えてくるものではありません。
だからこそ、焦らず、しかし丁寧に。
言葉の奥に置かれたものへと、一歩ずつ近づいていく必要があるのだと感じています。
「見抜く」のではなく、「共に見えてくる」
ここまで書いてきて、あらためて立ち止まって考えてしまうことがあります。
それは、「見極める」という言葉が持つ、どこか一方的な響きについてです。
私たちはつい、相手の本質を「見抜こう」としてしまいます。
しかし実際には、本質とは外側から一方的に暴けるものではないのかもしれません。
むしろ、問いを投げかけ、相手がそれを受け取り、考え、言葉にしていく。
その対話のプロセスの中で、少しずつ「共に見えてくるもの」なのではないでしょうか。
相手自身もまだ気づいていなかった自分の一部に、ふと触れる。
その瞬間に、静かに立ち会わせてもらうこと。
それこそが、対話という営みの本質なのかもしれません。
自分は、どんな問いを持って人と向き合うのか
対話の技術を磨くことは、もちろん大切です。
しかしそれ以上に、私たちが問われているのは、「どのような関心を持って相手と向き合っているのか」という、内なる姿勢なのかもしれません。
表面的な情報を集めるための、効率的な問いなのか。
それとも、その人の内側にある、まだ形にならないものに静かに触れようとする問いなのか。
その違いは、選ぶ言葉の巧みさ以上に、その場の空気そのものに滲み出ていくように感じています。
正直に申し上げれば、私自身、まだ十分にそれができているとは言えません。
つい、手早く答えを求めてしまいたくなる自分もいます。
それでも私は、「答えを引き出す」のではなく、「その人自身もまだ気づいていない何かに、共に触れていく問い」を持ち続けたいと願っています。
そしてその問いは、相手に向けるものであると同時に、
「自分は今、どんな前提で目の前の人を見ているのか」
という、自分自身への静かな問いでもあるのです。
人の本質に触れようとするとき、
私たち自身の在り方もまた、試されているのかもしれません。
あなたは明日、どのような問いを胸に、誰かと向き合いますか。
まとめ
- 人の本質は、整理された答えではなく「言語化されていない部分」に現れる
- 違和感や正しさの基準に関する問いが、その人の判断軸を浮かび上がらせる
- 本質は見抜くものではなく、対話の中で共に見えてくるものである
併せて読みたい一冊
『問いのデザイン』(安斎勇樹)
問いは情報を引き出すものではなく、思考を生み出すものだという視点が整理されています。
「どんな問いが人を深く考えさせるのか」を構造的に捉えたいときに、静かに役立つ一冊です。
もっと深めるためのメモ
「問いを持つ側」に踏み込んでみる
- 相手の本質に触れようとする行為は、本当に相手のためになっているのか。
- 私たちはなぜ「人を理解したい」と思うのか。その欲求の正体は何か。
- 相手を深く知ろうとする姿勢と、踏み込みすぎることの境界はどこにあるのか。
「見抜く」という概念を疑ってみる
- 人の本質は、本当に見抜けるものなのか。
- 「見極める力」とは、判断力なのか、それとも関係性の中で生まれるものなのか。
- 一度抱いた「この人はこういう人だ」という認識は、どのように更新されるべきか。
「相手ではなく、自分の前提」に向けてみる
- 自分はどのような前提で人を見ているのか。
- 相手に問いを投げるとき、その問いにはどんな“自分の価値観”が含まれているのか。
- 「良い質問」だと思っているものは、本当に中立なのか。
「言葉にならないもの」を扱う
- 人はどこまで自分を言語化できるのか。
- 言葉にされなかった部分を、どのように受け取るべきか。
- 沈黙や間に現れるものは、どのように捉えればよいのか。
「営業・実務」の観点から考えてみる
- 短時間の面談の中で、どこまで相手の本質に触れることができるのか。
- “理解したつもり”で進めてしまうリスクはどこにあるのか。
- 本質に触れることと、意思決定を促すことは両立するのか。
「信頼関係」との関連から考えてみる
- 人はどのようなときに、自分の本質に近い部分を語るのか。
- 信頼関係は、問いによって生まれるのか、それとも前提として必要なのか。
- “本音を引き出す”という表現は、本当に適切なのか。
逆方向から考えてみる
- 相手の本質を理解しなくても、良い仕事はできるのか。
- 深く理解しようとすることが、かえって判断を鈍らせることはないのか。
- 「分かり合うこと」を前提にしない関係性は成立するのか。