【課題019】
ビジネスにおいて、人から教わるよりも自分で体験して自分で学んでいかなければならないことにはどのようなことがあるか。
営業の世界には、数えきれないほどの「正解」があふれています。
売れるためのトーク、信頼を築く技術、あるいは成功者のマインドセット。
それらを学び、なぞることで、確かに私たちは最短距離を歩めるのかもしれません。
けれど、どれほど知識を積み上げても、どこか埋まらない空白のようなものを感じることはないでしょうか。
教わることで輪郭が見えてくるものと、
自分で触れてみなければ、決してその温度が伝わらないもの。
私たちはビジネスという営みの中で、一体何を「自分の体験」として刻まなければならないのか。
少し立ち止まって、考えてみたいと思います。
- 「地図」と「歩くこと」の違い
-
教わることで得られる「知識という地図」と、自分の足で踏みしめる「体験という感触」の境界線について。
- 「借り物の言葉」が「自分の形」になるまで
-
優れた先人の真似をしながらも、拭いきれない違和感と向き合い、自分だけのスタイルを削り出していくプロセス。
- 経験を「思考」へと深める時間
-
過ぎ去っていく出来事を、ただの思い出にせず、自分を形作る「内なる対話」に変えていくための心の持ちよう。
この記事は、「ビジネスにおいて人から教わることと、自分で体験して学ばなければならないこと」について、セールスパーソンおよびビジネス指導者としての立場から、私自身の考えを整理し共有するものです。
営業は教えてもらえば上手くなるのだろうか
「営業は、教えてもらえば上手くなるものですか?」
新人の方から、そんな風に真っ直ぐな質問を受けることがあります。
私はいつも、少し考えてからこう答えます。
「もちろん、教わることで上手くなる部分はたくさんありますよ」と。
先人たちが積み上げてきた商品知識や、基本となる型。
それらを学ぶことは、暗闇の中で地図を手に入れるようなものです。
むやみに迷う時間を減らし、着実に一歩を踏み出す助けになる。
人から教わることには、間違いなく大きな価値があると思っています。
しかし、長くこの仕事に関わり、多くの方と向き合ってくると、
ふと、地図だけでは歩けない道があることに気づかされます。
営業という営みの中には、
「言葉」として手渡すことはできても、
「体験」として肩代わりしてあげることは、どうしてもできない領域がある。
それは、効率やテクニックといった知識の層よりも、
もっと深いところで、一人ひとりが手探りで身につけていくもの。
誰かに教わることで完成するのではなく、むしろ、教わったことの「外側」にあるもの。
それは一体、どのようなものなのでしょうか。
人と向き合う感覚は教えきれない
「例えば、どんなことですか?」
もしそう尋ねられたなら、私は真っ先に、
「人と向き合うときの、あの独特な感覚」を思い浮かべます。
営業という仕事は、どこまでいっても人と人のあいだに流れる「何か」です。
目の前の人が、今、何を思い、何を感じているのか。
どんな言葉で心が解け、どんな瞬間に少しだけ身を硬くするのか。
こうした微細な揺れは、マニュアルの行間からは決して立ち上がってきません。
本に書かれた「正解のフレーズ」をそのまま口にしてみても、
相手が違えば、その言葉が持つ響きは驚くほど変わってしまいます。
ある人には「誠実さ」として届く言葉が、
別の人には「重苦しさ」や「距離」として感じられてしまうこともある。
それは、言葉そのものが間違っているのではなく、
その場の空気や、相手との波長が、たった一秒のタイミングで変化しているからかもしれません。
こうした「肌で感じる」ような感覚は、
誰かに教わることはできても、最後に自分の中に落とし込めるのは、
実際に人と向き合い、時に迷い、時に失敗した体験の積み重ねだけなのだと思います。
だからこそ、営業は知識だけで完結するものではなく、
体験というろ過機を通して、自分だけの感覚へと磨き上げられていくもの。
その「磨かれるプロセス」そのものが、
この仕事の深みであり、面白さなのかもしれません。
自分の営業は人から与えられるものではない
体験の中でしか見つけられないものが、もう一つあります。
それは、「自分だけの営業の形」です。
私たちの周りには、多くの成功事例や素晴らしいメソッドが溢れています。
結果を出している方の話はどれも鮮やかで、迷ったときには、
「あの人のように振る舞えばいいのではないか」と、救いを求めたくなることもあるでしょう。
それは決して悪いことではありません。
優れた先人から学ぶことは、自分を広げるための大切なプロセスです。
けれど、どれほど完璧にその形をなぞってみても、
どこか「借り物の服」を着ているような、しっくりこない感覚を覚えることがあります。
同じ言葉を使い、同じタイミングで頷いても、
なぜか自分の心が、その言葉に追いついていかない。
それは、その方法が間違っているからではなく、
おそらく、まだ「自分の形」になっていないからなのだと思います。
営業のやり方は、きっと人の数だけ存在します。
誰かが歩いてきた道は、その人の体温や歴史に裏打ちされた「答え」であって、
それをそのまま自分の道に敷き詰めることはできません。
自分の形は、誰かから手渡されるものではなく、
憧れの形を真似し、違和感を覚え、削ぎ落とし……
そうした試行錯誤の体験の果てに、静かに立ち現れてくるもの。
自分にしか似合わない営業のスタイルが、どこからか与えられるのを待つのではなく、
自分の足跡の中に、少しずつ見つかっていく。
その「自分と一致していく過程」こそが、
私たちがこの仕事で経験しなければならない、最も尊い時間なのかもしれません。
体験をどう考えるかが人を育てる
「では、営業はすべて経験が解決してくれるのでしょうか」
そう聞かれることもあります。
確かに、場数を踏むことは大切です。
しかし、ただ時間を過ごし、経験を重ねるだけでは、
人の心に変化は訪れないのかもしれません。
同じ出来事に直面しても、そこから何を汲み取るかは、人によって驚くほど違います。
「なぜ、あの時うまくいったのか」
「なぜ、あの言葉に相手は少しだけ表情を曇らせたのか」
その出来事を、単なる「事実」として流してしまうのか。
それとも、自分の心と向き合い、静かに考えを巡らせる材料にするのか。
経験そのものが人を育てるのではなく、
「その経験をどう受け止め、何を思うか」という内なる対話の時間が、
私たちを少しずつ、形作っていくのではないでしょうか。
営業の世界では、よく「経験がすべてだ」と語られます。
けれど本当は、目に見える経験の量よりも、
その裏側にある「思考の深さ」のほうが、ずっと大切なのかもしれません。
人から学びながら、自分で見つけていく
もちろん、人から学ぶことには、計り知れない価値があります。
先輩の背中を見たり、本を読んだりすることで、
自分一人では決して辿り着けなかった視点に触れることができます。
営業は、「自分一人で完結する仕事」ではありません。
むしろ、多くの人の知恵を借り、支えられながら歩んでいく仕事です。
ただ、その学びをどう自分のものにするかは、どこまでも自分次第です。
与えられたものを「絶対的な正解」としてそのままなぞるのか。
それとも、自分の内側を照らす「一つの灯火」として受け取るのか。
営業という仕事は、人から真摯に学びながら、同時に自分だけの答えを、
手探りで見つけていく旅のようなものなのかもしれません。
教えてもらえることは、たくさんあります。
しかし、最後の一歩を踏み出すときの感触を、誰かが代わりに体験してくれるわけではありません。
人と向き合い、迷い、考えながら、
少しずつ、自分だけの営業のあり方を手繰り寄せていく。
その、もどかしくも確かな歩みの中にこそ、
この仕事の本当の面白さが潜んでいるように思うのです。
さて、私は今日までの経験の中から、
一体何を学び、何を自分のものにしてきたのでしょうか。
そしてこれから、
どのような人間として、誰と向き合っていきたいのでしょうか。
まとめ
- 営業には、人から教わることと体験の中でしか学べないことがある
- 人と向き合う感覚や自分の営業の形は、体験の中で少しずつ見つかる
- 大切なのは経験の量よりも、その経験をどう考えるかかもしれない
併せて読みたい一冊
『職業としての小説家』村上春樹
小説という創作の仕事を通して、「自分のやり方をどう見つけていくか」が語られている一冊です。
営業とは違う世界の話ですが、自分の仕事の形を少しずつつくっていくという点で、多くの示唆を与えてくれる本だと思います。
もっと深めるためのメモ
「教わる」と「体験する」の境界をさらに深掘りする
- 人はどこまで教えられ、どこから教えられないのか
- なぜ人は“体験しないと分からないこと”を軽視してしまうのか
- 経験しても学べる人と学べない人の違いは何か
「経験」と「思考」の関係に踏み込んでみる
- 経験は人を成長させるのか、それとも思考が人を成長させるのか
- なぜ同じ経験をしても成長に差が生まれるのか
- 経験を“意味あるもの”に変えるためには何が必要か
「自分の営業を見つける」というテーマに広げてみる
- 自分にしかできない営業とは何か
- 人はなぜ他人の営業を真似したくなるのか
- 自分の営業を見つけるとは、どういう状態なのか
「人と向き合う感覚」を広げてみる
- 人は相手をどこまで理解できるのか
- 営業における「信頼」とは何か
- 相手によって自分が変わることは良いことなのか
「教える側」の視点から考えてみる
- 人は他人を育てることができるのか
- 教えるとは何か、伝えるとは何か
- なぜ“正しく教えても”人は成長しないことがあるのか