【課題006】
苦手なことを『捨てずに学ぶ』とはどういうことか。自分なりの考えをまとめてください。
「もっと得意なことだけを伸ばせばいい」
「苦手なことは、得意な人に任せればいい」
効率や成果が優先される場所では、こうした「選択と集中」が正解とされます。
たしかに、不器用な自分に執着して足を止めるより、強みを磨くほうが、はるかに理にかなっているのかもしれません。
けれど、苦手なことをすぐに切り捨ててしまうとき、私たちは大切な「問い」まで一緒に手放してはいないでしょうか。
たとえば、熱いお湯が苦手だからこそ、長湯ができるぬるめの「ぬる湯」の心地よさに気づけるように。
何かができないという不自由さは、ときに、器用な人には見えない景色を教えてくれることがあります。
説明が苦手だからこそ、「どうすれば伝わるか」を必死に考える。
人付き合いが苦手だからこそ、心の微かな揺れに敏感になれる。
この記事では、苦手を克服すべき「欠点」としてではなく、自分だけの新しい視点を授けてくれる「学びの入口」として捉え直してみたいと思います。
私自身、かつては足りない部分を数えてはため息をついてばかりでしたが、今はその不器用さが教えてくれる景色を、静かに味わえるようになりたいと願っています。
- 「できる」ことの先にある「気づき」
-
得意なことは、無意識にこなせてしまうがゆえに、その構造に気づきにくいものです。
逆に「できない」という壁があるからこそ、物事の本質を分解し、深く理解しようとする思考が動き出す。
その逆説的な成長の形に注目します。 - 「問い」としての苦手意識
-
苦手だと感じる瞬間、心の中には必ず「なぜ?」という問いが生まれています。
その問いを、自己否定の材料にするのではなく、探究のテーマとして受け取ってみる。
弱さを、思考を深めるための「力」に変える視点です。 - 「不完全さ」が醸し出す自分らしさ
-
強みだけで構成された完璧な仕事よりも、苦手と向き合い、悩みながら形作られた仕事の方が、時に深い説得力を持つことがあります。
自分の不器用さを捨てずに持ち続けることで生まれる、独自の「在り方」について考えます。
この記事は、「苦手なことを捨てずに学ぶとはどういうことか」という問いについて、営業の経験を振り返りながら、成長のあり方という視点で私自身の考えを整理したものです。
苦手なことは克服しなければならないものなのか
若い頃の私は、苦手なことは「克服し、克服されるべきもの」だと思い込んでいました。
人と向き合う仕事をしていると、実に多くの役割が求められます。
淀みのない話し方、論理的な説明、整った資料、そして、人の懐に飛び込む勇気。
周囲を見渡せば、眩しいほどの才能が溢れていました。
ある人は立て板に水のごとく語り、ある人は見惚れるほど丁寧な資料を作り、またある人は、初対面の相手とも旧知の仲のように打ち解けてしまう。
そんな姿を横目に、私はいつも自分の「足りないピース」ばかりを探していました。
「あの人のように話せたら」
「もっと鮮やかに説明できたら」
そう願いながら、自分の中の凹んだ部分を無理やり平らにしようと、必死に抗っていたのです。
もちろん、その努力が無意味だったとは思いません。
苦手に顔を向け続けたことで、できるようになったことも少しずつ増えていきました。
ただ、長くこの仕事を続けていく中で、ふと足が止まる瞬間があったのです。
それは、苦手なことを「得意に塗り替えること」と、
苦手なことから「何かを学び取ること」は、似ているようで、実は全く別の道なのではないか、という気づきでした。
苦手とは欠点なのか
苦手なことに出会ったとき、私たちはついこう自問してしまいます。
「どうすれば、これを克服できるだろうか」
もちろん、その向上心は尊いものです。
できることが一つずつ増えていくのは、仕事という荒野を歩むための装備を整えるような心強さがあります。
しかし、苦手なことには、もう一つの静かな側面があるように思うのです。
それは、「問いを生み出す力」です。
たとえば、言葉を紡ぐのが得意ではない人は、常にこんなことを考えています。
「相手は、どの言葉で立ち止まってしまうのだろうか」
人前で話すことに臆病な人は、誰よりも切実に願います。
「この声はどうすれば、あの人の心の奥に届くのだろうか」
こうした深く、優しい問いは、最初から器用にこなせる人の前には、なかなか姿を現してくれません。
もし、最初からすべてを軽やかにこなせていたとしたら。
私たちは、相手の戸惑いや、言葉の届かないもどかしさに、これほどまで心を寄せることはなかったかもしれません。
そう考えると、苦手なこととは単に「欠けている状態」を指すのではなく、人とは違う場所から世界を眺めるための、大切な視座を授けてくれているようにも感じられるのです。
苦手なことが問いを生むこともある
ビジネスの世界では、「強みを伸ばす」という考え方をよく耳にします。
それは自分の輪郭をはっきりさせ、自分らしい仕事の形をつくるために、とても大切な視点だと思います。
ただ、その一方で、苦手なことを「効率が悪いから」とすぐに捨ててしまうと、そこにあるはずの「問い」に出会う機会も、一緒に失ってしまうのではないでしょうか。
まるで、ふっくらと焼き上がったクロワッサンの層が、幾重にも重なることで深い味わいを生むように。
得意なことの層と、苦手なことがもたらす「問い」の層。
その両方が重なり合って初めて、その人にしか出せない深みのようなものが生まれる気がするのです。
苦手なことの中には、自分にとって大切な学びの入口が、静かに隠れていることがあります。
だからこそ私は、苦手なことに出会ったとき、すぐに克服しようとしたり、誰かに委ねて手放したりするのではなく、一度立ち止まって考えるようにしています。
「この不器用さは、自分に何を教えてくれているのだろうか」
捨てないという選択
苦手なことを、すべて得意にする必要はないのだと思います。
人にはそれぞれの役割があり、持ち場があります。
ただ、できない自分をすぐに切り捨てるのではなく、そこから何かを学ぼうとする姿勢を持ち続けること。
「できるようになること」だけが成長ではなく、「考え続けるきっかけ」を持つこともまた、ひとつの大切な成熟の形ではないでしょうか。
そう考えるようになってから、私にとって苦手なことは、単なる欠点ではなくなりました。
それは、自分を自在に操らせてはくれない、少し気難しくて「ツンデレ」な猫のようにも感じられるのです。
こちらの思い通りには動いてくれないし、懐くのにも時間がかかる。
けれど、じっと寄り添ってみることでしか見えてこない、彼らなりの誠実な視点がある。
苦手なことも、そんなふうに「手なずけられないもの」として傍らに置いておくことで、私の世界を少しだけ広く、豊かにしてくれている気がするのです。
過去の自分に伝えるとしたら
もし、あの頃の、自分の足りない部分ばかりを数えていた私に会えるとしたら。
私はどんな言葉をかけるでしょうか。
「苦手なことを、無理に得意に塗り替えなくてもいい。
ただ、その『ツンデレな猫』が何を伝えようとしているのか、その声に耳を傾けてみたらどうだろう」
そんなふうに声をかけるかもしれません。
欠点を埋めることに必死になるのをやめ、その中にある問いを見つけること。
その問いをゆっくりと温め、考え続けることが、やがて誰にも真似できない「あなたらしい仕事」の形になっていくはずだから。
そして私は今も、日々の仕事の中で新しい「苦手」に出会うたび、自分にこう問いかけています。
「これは、私を困らせるだけの欠点なのだろうか。
それとも、新しい世界を見せてくれる、学びの入り口なのだろうか」
あなたが今、もし自分の不器用さに溜息をつきそうになっているのなら。
その苦手なことは、あなたにどんな「問い」を贈ろうとしているのでしょうか。
少しだけ立ち止まって、その声に耳を澄ませてみませんか。
まとめ
- 苦手なことを得意にすることと、そこから学ぶことは少し違う
- 苦手なことは「できないこと」ではなく「問いを生むきっかけ」になる
- すぐに捨てるのではなく、その中にある学びを考える姿勢が成長につながる
併せて読みたい一冊
『勝負論』青木功
世界的プロゴルファー青木功さんが、自身の経験をもとに勝負や成長について語った一冊です。
得意なことだけでなく、苦手なことや失敗との向き合い方から学ぶ姿勢について、多くの示唆を与えてくれます。
もっと深めるためのメモ
「苦手とは何か」を深めてみる
- 人はなぜ、それを「苦手」と認識するのか
- 苦手なことと、やるべきでないことの違いは何か
- 苦手意識はどのタイミングで生まれるのか
「学ぶとは何か」を深めてみる
- 学ぶことと、できるようになることは同じなのか
- 苦手なことからしか得られない学びとは何か
- 人はどの瞬間に「学んだ」と言えるのか
「捨てる/残す」を深めてみる
- どこまで向き合い、どこで手放すべきなのか
- 苦手なことを捨てることで失っているものは何か
- 強みを伸ばすことと、苦手を残すことは両立するのか
営業・指導の現場にあてはめてみる
- 指導者は、部下の苦手にどう向き合うべきか
- お客様の“苦手意識”をどう扱うべきか
- 苦手なことを抱えたまま成果を出す人は何が違うのか
その他の角度からも考えてみる
- 成長とは「できることを増やすこと」なのか
- 自分らしさは、得意から生まれるのか、苦手から生まれるのか
