【課題912】
自分という「在り方」をワンランク上げるための企画を考えてみましょう。
最初に、ひとつの小さな違和感から始めてみたいと思います。
私たちは本当に「足りない」のでしょうか。
それとも、すでに持ちすぎているのでしょうか。
焼きたてのクロワッサンを丁寧にちぎる時のように、自分の内側にある層を、一枚ずつ静かにめくってみる。
そんな時間のなかで、ふと感じたことがあります。
「今の自分」を底上げするために必要なのは、何かを付け足すことではないのかもしれない、と。
- 足し算ではなく、引き算で考える
-
何かを増やすことではなく、余計なものを「削る」ことで本来の純度を取り戻すという発想。
- 「違和感」という小さなサインを拾い上げる
-
日常に溶け込んでいる微細な重荷を、温泉の湯気を眺めるような静かな観察で見つけ出すこと。
- 自分を裏切らないための小さな基準を持つ
-
誰かの評価ではなく、自分が自分として立ち戻れる場所を、猫の温もりを感じるような身近な距離で見つけること。
この記事は「在り方を高めるために何を削るべきか」について、セールスパーソンおよびビジネス指導者としての立場から、私の思考を整理し共有するものです。
在り方を上げるとは『増やすこと』なのか
「自分の在り方をワンランク上げる」
そう聞いたとき、多くの人が自然に思い浮かべるのは、何かを増やしていく姿ではないでしょうか。
知識を増やす。
経験を積む。
実績を重ねる。
確かに、それらは大切な要素です。
私自身も、その積み重ねによって今の仕事が成り立っていることを実感しています。
ただ、ある地点を越えたあたりから、ふと、膝の上で丸まって眠る猫の静かな呼吸に救われるような、少し違う感覚が芽生えてきました。
「これ以上、何を足せばいいのだろうか」と。
むしろ、足せば足すほど、自分の輪郭がぼやけていくような感覚。
選択肢が増えれば増えるほど、判断に迷い、わずかな疲労が積み重なっていく。
そのとき、ふと立ち止まって思ったのです。
在り方を上げるとは、本当に“足し算”なのだろうか、と。
純度を高めるという発想
ある朝、まだ頭が完全に目覚めきっていない時間にコーヒーを飲みながら、ぼんやりと考えていたことがあります。
クロワッサンの層のように、自分の中にもいくつもの層が重なっているのではないか、と。
本来の自分。
周囲の期待に応えようとする自分。
過去の経験から身につけた防衛的な自分。
その一つひとつが悪いわけではありませんが、重なりすぎると、バターの香りが何層にも包み込まれるように、どこまでが本来の自分の味なのかが分かりにくくなります。
そう考えたとき、「純度を高める」という言葉がしっくりきました。
純度を高めるとは、何か特別なものを加えることではなく、混ざり込んでいるものを丁寧に取り除いていくこと。
つまり、“削る”という行為です。
では、何を削るのか。
削るべきものに気づくための観察
削る対象は、意外と目立ちません。
むしろ、当たり前の顔をして、日常に溶け込んでいます。
たとえば、
惰性で続いている人付き合い。
本当は違和感があるのに、空気を読んで続けている会話。
なくても困らないのに、なぜか手放せない見栄。
こうしたものは、一つひとつは小さくても、確実に自分の感覚を鈍らせていきます。
長く続けているうちに、それが普通になり、生きづらさや我慢としてすら感じなくなってしまう。
だからこそ必要なのは、「観察する時間」なのだと思います。
忙しさの中で見過ごしている、自分の微細な違和感。
少し立ち止まり、まるで温泉の湯気の向こう側を眺めるように、自分の内側をゆっくりと見つめてみる。
何に疲れているのか。
どこで無理をしているのか。
どの瞬間に、自分を雑に扱っているのか。
その問いに、すぐに答えが出る必要はありません。
お湯のなかで体がほどけていくのを待つように、すぐに言葉にならない感覚を、ただ大切に守ってあげる。
そんな時間が必要なのではないでしょうか。
これさえあればいい』という静かな確信
もう一つ、この課題に向き合う中で考えたいのが、「自分を迷わせない軸」をどこに置くかという点です。
選択肢が多いことは、豊かさでもありますが、同時に迷いの原因にもなります。
だからこそ、「これさえあれば、私は私でいられる」と思えるものが、たとえ小さなものであっても自分の中に静かにあるだけで、心持ちが少し変わってくるのかもしれません。
それは、大きな理念である必要はないのだと思います。
たとえば、足元にすり寄ってくる猫の温かさにふと気づけるような、そんな心の余白に近いものです。
今日の自分は、誰かに対して必要以上に強くなっていなかったか。
自分の言葉で話せていたか。
目の前の相手に対して、誠実であろうとしていたか。
そうした、静かで小さな確認。
誰かに評価されるための基準ではなく、自分が自分を裏切らないための基準。
この基準があると、不思議と迷いが和らいでいく気がします。
私も決して完璧にできているわけではありません。
ただ、少なくとも「ここに戻ればいい」という場所が微かに見えているだけで、心の中に、穏やかな風が通るような余白が生まれるのです。
在り方を整えるということ
在り方をワンランク上げるとは、何か特別な存在になることではないのかもしれません。
むしろ、余計なものを一つずつ手放しながら、自分が自分として立てる場所を、少しずつ深くしていくこと。
温泉に浸かり、身体と外の世界の境界線がゆっくりと溶けていくのを待つときのように。派手な変化はないかもしれませんが、自分の中では確実に、何かが澄んでいく感覚があります。
そして、その澄んだ感覚こそが、日々の仕事や人との関わりの中で、静かに、でも確かに滲み出ていくのではないでしょうか。
自分への問いとして
ここまで考えてきて、私自身もまだ途中にいます。
削りきれていないものも多く、迷うことも少なくありません。
それでも、ひとつだけ大切にしたいと思っているのは、「本来の自分から遠ざかる選択をしていないか」という問いを持ち続けることです。
足りないものを探し続けるのではなく、すでにあるものの中で、何を手放せばより自分らしくいられるのか。
あなたは今日、どんなものを手放し、どんな自分でありたいと願いますか?
まとめ
- 在り方を高めるとは、何かを増やすことではなく「余計なものを削ること」かもしれない
- 生きづらさや違和感は日常に埋もれているため、静かな観察が必要である
- 「これさえあればいい」という小さな基準が、自分を迷わせない軸になる
併せて読みたい一冊
『自由であり続けるために 20代で捨てておきたい50のこと』四角大輔
タイトルには20代とありますが、全世代に通じる「手放すこと」の美学が詰まっています。
物質的なものだけでなく、心のノイズや不要なプライドを削ぎ落とした先にある、軽やかで自分らしい「在り方」を再定義させてくれる一冊です。
もっと深めるためのメモ
- 削るべきだと分かっているのに、手放せないものは何か?
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- それを手放すと、誰にどう思われるのか
- それがなくなると、自分は何者でなくなるのか
- 自分にとって「純度が高い状態」とは、どんな状態か?
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- どんなとき、自分は無理をしていないと感じるか
- どんなとき、自然体でいられているか
- 違和感を感じたとき、自分はどのように扱っているか?
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- 見て見ぬふりをしていないか
- 正当化していないか
- 誰かのせいにしていないか
- 自分は何によって迷わされているのか?
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- 他者の評価
- 過去の成功体験
- 「こうあるべき」という無意識の前提
- すべてを削ぎ落としたとき、それでも残るものは何か?
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- 役割がなくなっても
- 実績がなくなっても
- 誰からも評価されなくても
- 今の自分は、自分自身に対して優しいだろうか?
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- その削り方は乱暴ではないか
- 自分を否定する削り方になっていないか