【課題4037】
仕事において「感情(情に流されること)」と「プロフェッショナルの基準」を両立させるためには、どのような工夫が必要だと思うか。自分なりの考えをまとめてください。
「人としては、良い人なんだけどね」
仕事の現場で、ときどき耳にする言葉です。
そしてこの言葉の後ろには、いつも少しの沈黙と、どこか割り切れない複雑なニュアンスが含まれているように感じます。
優しい。
親身になってくれる。
相手の気持ちを否定しない。
それ自体は、決して悪いことではありません。
むしろ、人と向き合う仕事においては、何よりも大切な要素のはずです。
けれど一方で、“情に厚いこと”と“プロフェッショナルとして基準を守ること”は、現場でしばしば静かに衝突します。
私は長く営業の仕事に携わってきましたが、このテーマは、年齢や経験を重ねるほど、むしろ難しくなっていく気がしています。
若い頃は、「正しい基準を、正しく伝えればいい」と考えていました。
しかし現実には、正しさだけでは人は動きません。
逆に、相手の心情に寄り添いすぎれば、本来守るべき一線が少しずつ曖昧になっていく。
正しさだけで相手を突き放すことはできないし、かといって、ただ優しく流されるわけにもいかない。
その狭間で、私たちはいつも小さく揺れているのではないでしょうか。
今日は、仕事における「感情(情に流されること)」と「プロフェッショナルの基準」について、どちらか一方を排除するのではなく、どうすれば両方を抱えたまま立っていられるのか。
私なりの迷いも含めて、静かにひも解いてみたいと思います。
- 「自分を守る優しさ」になっていないか
-
相手を想う気持ちの裏側で、傷つくことや空気が悪くなることを恐れていないか、その境界線を静かに見つめます。
- 感情があるからこそ、気づける痛みがある
-
プロフェッショナルとは冷徹になることではなく、豊かな感情を持ちながらも「何を基準に判断するか」の軸を持つことです。
- 「情」と「基準」は対立するものではない
-
短期的な損得を超えて、本当に相手の未来を大切にしようとするとき、私たちが立ち返るべき「あり方」について考えます。
この記事は、「感情」と「プロフェッショナルの基準」の関係について、セールスパーソンおよびビジネス指導者としての立場から、自分自身の考えを整理し共有するものです。
「優しさ」が判断を曇らせることがある
以前、ある営業担当者から、こんな相談を受けたことがあります。
「本当は、この契約はお勧めしないほうがいいと思うんです。でも、お客様が強く希望されていて……どうしても断りにくくて」
その戸惑いや、胸がキリキリするような気持ちは、私にも痛いほどよく分かります。
営業という仕事は、どこまでも人と人との関係性の中で成り立っています。
相手の期待に応えたい。
役に立ちたい。
がっかりさせたくない。
目の前の人を大切にしたいと思うからこそ、そうした感情が動くのは、とても自然なことです。
ただ、そのとき私は、少し間を置いてからこんな話をしました。
「その優しさは、本当に相手のためなんだろうか」
文字にすると、少し厳しく聞こえるかもしれません。
けれど、仕事という舞台においては、ときどきこの問いの前に、一人静かに立ってみる必要があると思うのです。
相手を傷つけたくない。
嫌われたくない。
その場の空気を悪くしたくない。
そうやって相手を慮っているはずの感情が、いつの間にか、傷つくことから「自分を守るための優しさ」にすり替わっていることがあるからです。
もちろん、私たちは人間ですから、感情をきれいに消し去ることなんてできません。
私自身、今でも判断の前に心が揺れます。
ただ、感情の「まま」に流されて判断することと、感情を胸に「抱えながら」プロとしての基準で判断することは、似ているようで、まったく違う景色なのだと思っています。
プロフェッショナルとは「冷たい人」ではない
「プロなんだから、感情を入れるな」
ビジネスの世界では、よくそう言われます。
確かに、感情に振り回されすぎると判断は不安定になりますし、相手によって態度が変わったり、その場の空気で基準がブレてしまっては、仕事としての信頼は積み上がりません。
ただ私は、プロフェッショナルとは、決して“感情を消し去った冷徹な人”ではないと思っています。
むしろ逆ではないでしょうか。
豊かな感情や感受性があるからこそ、私たちは、目の前の人の小さな痛みや、言葉にならない不安に気づけるのだと思います。
それは、私自身が長く携わってきた保険の提案でも同じでした。
数字やデータだけを見れば、どれほど合理的で完璧な提案であっても、相手の背景を無視して進めてしまえば、それはどこか血の通わない、空虚なものになってしまいます。
家族との関係。
過去の経験。
将来のお金に対する、漠然とした不安。
そうした、お客様の胸の奥にある「言葉にならない感情」への理解が浅いままでは、本当の意味でその人に必要な提案など、できるはずがない気がしているのです。
だから、感情そのものを否定する必要は、きっとありません。
大切なのは、感情をなくすことではなく、「何を基準にして、最後の判断を下すのか」なのだと思います。
基準がない優しさは、流されやすい
今でこそ偉そうなことを考えていますが、独立して間もない頃の私は、正直にお伝えすると、かなり不安定でブレてばかりでした。
「とにかく契約が欲しい」
「紹介を繋がなければ」
「今月の数字を作らなければならない」
そんな焦りと不安が、いつも心のどこかに張り付いていたのです。
だからこそ、お客様から強く求められると、胸の奥で小さな「違和感」を感じていながらも、それを無視して契約を進めてしまうことがありました。
「お客様がそこまで言うなら……」と言い訳をしていましたが、今振り返れば、それは“相手を想う情”などではなく、ただ自分の“不安”に流されていただけだったのだと思います。
そして不思議なことに、そうして無理に結んだ契約は、長続きしないものもたくさんありました。
後味の悪い、苦い後悔だけが手元に残るのです。
逆に、ある時期から、少しずつ意識を変えていったことがあります。
「この人にとって、本当に今、これが必要なのだろうか」
その問いを、どんなときも自分の中で一番高い場所に置く、と決めたのです。
もちろん、毎回完璧にできたわけではありません。
ただ、少なくとも「何を最優先にするのか」という軸だけは、少しずつ定まり始めました。
すると、不思議な変化が起き始めたのです。
短期的には、お断りする案件が増えました。
けれど長期的には、深い信頼に基づいたご紹介や、長く続く関係性が、少しずつ増えていったのです。
当時、あるお客様からいただいた言葉が、今でも私の心の真ん中に残っています。
「あの時、あなたが必要ないと言って、売ろうとしなかったから、私は信用できたんだよ」
「情」と「基準」は対立ではないのかもしれない
以前の私は、感情とプロフェッショナルの基準は、どうしても相反するものだと思っていました。
情を優先すれば、組織や判断は甘くなる。
基準を優先すれば、人間味がなくなり冷たくなる。
いつも、そのどちらかを選ばなければならないような、二択の窮屈さを感じていたのです。
でも最近は、少し違う見方をするようになりました。
本当の意味で目の前の相手を大切にしようとすると、むしろ、ブレない「基準」の存在が必要不可欠になるのではないか。
そんなふうに感じているのです。
例えば、誰かを指導する場面を思い浮かべると、分かりやすいかもしれません。
嫌われたくないから、耳の痛いことを言わない。
その場の空気を壊したくないから、見て見ぬふりをする。
これは一見、相手に寄り添った「優しさ」のように見えます。
けれど、長い目で見つめたとき、その関わり方は本当に相手の成長や未来につながるのでしょうか。
逆に、相手の未来を心から信じ、大切に思うからこそ、言いにくいことであっても誠実に伝えなければならない場面があるはずです。
もちろん、伝え方には細心の注意が必要です。
こちらの感情をただぶつければいいわけではありません。
ただ、「関係を壊したくない」という目先の感情だけを最優先にしてしまうと、本来向き合うべき大切なことから、自分自身が逃げてしまうことになる。
それは営業の現場でも、組織のマネジメントでも、あるいは日々の人間関係でも、すべて地続きのような気がしています。
「自分はどうありたいのか」を問い続ける
結局のところ、感情とプロフェッショナルの基準を両立させるためには、目先の“技術”を磨くだけでは足りないのかもしれません。
もっと根底にある、「自分は仕事を通して、どうありたいのか」という、少し大きな問いが必要になる気がしています。
どんな場面でも、目先の数字を最優先にする人間でありたいのか。
相手に嫌われないこと、好かれることを最優先にするのか。
それとも、短期的な損得をそっと手放して、長く信頼される人でありたいのか。
これは、すぐに明快な答えが出るような問いではありません。
私自身、いまだに現場で迷い、綺麗に整理しきれていない部分がたくさんあります。
ただ、少なくとも感じているのは、“基準”というのはどこかで学んできた知識ではなく、その人の「生き方」そのものに近い、ということです。
日々、どんな小さな判断をしているか。
何を優先し、何を後回しにしているか。
どこで妥協し、どこで頑なに踏みとどまるのか。
そうした日常の、誰にも見えない小さな積み重ねの中で、自分なりの基準が少しずつ形作られていくのだと思います。
温泉の温度のように
私は温泉が好きなのですが、熱すぎるお湯には長く浸かっていられません。
逆に、あまりにぬるすぎても、どこか心細く、落ち着かないものです。
仕事における人とのお付き合いや、心の置き所も、どこかそれに似ている気がしています。
情を失えば、冷たく無機質なものになってしまう。
けれど、情に流されすぎれば、進むべき道が曖昧になってしまう。
私たちはきっと、その間の、自分にとってのちょうどよい「温度」をいつも探しているのでしょう。
もちろん、その適温は人によって違います。
だからこそ、他人の正解をそのまま真似してみても、どこか体に合わず、無理が出てしまうのだと思います。
営業に絶対的な正解がないように、仕事における感情との向き合い方にも、唯一の正解などないのかもしれません。
それでも、自分なりの基準を持とうと、もがき続けること。
そして、その基準を誰かに押しつけるのではなく、自分の中で静かに磨き続けること。
それこそが、プロフェッショナルという言葉の本質に、ほんの少し近づくということなのかもしれません。
まだ、十分にはできていません。
目の前の感情に激しく揺れることも、判断に迷うこともあります。
それでも、自分の内側にある温かな感情を否定せず、同時に、プロとしての基準も手放さない、そんな人でありたいと思っています。
仕事を通して、相手にとっても、自分にとっても、「後から振り返ったときに、あれで良かったと納得できる判断」を、一つずつ増やしていきたい。
そのために、自分の中の“基準の温度”は、これからも一生、問い続けていくのだと思います。
あなたは日々の仕事の中で、 「優しさ」と「基準」のどちらを、より守ろうとしているでしょうか。
そして、その判断の温かさは、本当に、相手の未来を照らしているでしょうか。
まとめ
- 感情を持つことと、感情に流されることは違う
- 本当に相手を大切にするためには、自分なりの基準が必要になる
- プロフェッショナルとは、感情を消すことではなく、何を優先するかを問い続ける姿勢なのかもしれない
併せて読みたい一冊
『道をひらく』松下幸之助
短い言葉の中に、人としての在り方や仕事との向き合い方が静かに綴られている一冊です。
「正しさ」だけでも「情」だけでもない、人間としての成熟について考えさせられます。忙しい時ほど、ゆっくり読み返したくなる本です。
もっと深めるためのメモ
- 「優しさ」の本質という観点から考える
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- 本当に相手のためになる厳しさとは何か
- 嫌われたくない感情は悪いことなのか
- 優しさと依存の境界線はどこにあるのか
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