【課題1910】
私たちはなぜ、「自らの意思で行動を選ぶこと」から逃げたくなるのか。自分なりの考えをまとめてください。
なぜ、私たちは「選ぶこと」から逃げたくなるのでしょうか。
新しい一歩を踏み出せない理由を、「まだ実力が足りないから」と自分に説明するとき、私たちの心はどこか少しだけ、安らかでいられます。
「準備が整えば、いつか選べるはずだ」という希望を持てるからです。
けれど、ふと立ち止まって考えてみます。
それは本当に“能力”の問題なのでしょうか。
もしかすると、私たちは「能力」という言葉を使って、別の何かから目を逸らしているだけなのかもしれません。
- 「できない」のか、「決めていない」のか
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行動を阻んでいるのは、本当にスキルの不足なのでしょうか。
- 選ぶことは、捨てること
-
何かに決める瞬間に、私たちは何を「手放す」のが怖いのでしょうか。
- 正解を当てるのではなく、引き受ける
-
選択の価値は、選んだ瞬間ではなく、その後の「関わり方」で決まるのかもしれません。
この記事は「選ぶことから逃げたくなる理由」について、セールスパーソンおよびビジネス指導者としての立場から、意思決定と在り方の観点で思考を整理し共有するものです。
選べない理由を「能力」で説明してしまう違和感
営業の現場にいると、こんな言葉をよく耳にします。
「まだ自信がないので動けません」
「もう少し勉強して、準備が整ってから判断します」
その背景には、お客様に対する誠実さや、仕事への慎重さがあることもよくわかります。
かつての私自身も、そうでした。
うまくいかない理由を「経験不足」や「スキル不足」という箱の中にしまっておく限り、どこか安心していられたのです。
「できるようになれば、動けるはずだ」という前提に立てば、今この瞬間に動かない自分を、静かに正当化できるからです。
けれど、長くその場所に留まっているうちに、ある違和感が膨らんでいきました。
本当に、知識が増え、準備が整えば、人は迷わず選べるようになるのだろうか、と。
もしかすると、私たちが立ち止まっている本当の理由は、能力の「不足」ではなく、別の何かに「触れること」を避けているからではないか。
そんな問いが、私の中に浮かんできました。
「選ぶこと」は「捨てること」と切り離せない
「選ぶ」という行為を、手のひらを返すように裏返してみると、そこには必ずもう一つの側面があることに気づかされます。
それが、「捨てる」という側面です。
ひとつの提案を選ぶことは、他の魅力的な選択肢をすべて手放すこと。
ひとつの行動を決めれば、それまで手にしていた「別の可能性」は、静かに閉じていく。
つまり、「選ぶ」と「捨てる」は、別のタイミングで起きる二つのことではなく、同時に起きているひとつの出来事なのだと言えそうです。
そして、私たちはこの“捨てる側”に対して、名付けようのない不安を感じます。
「もし他の選択肢のほうが良かったら、どうしよう」
「もし取り返しがつかなかったら、どうしよう」
こうした思考は、まだ起きていない未来の「後悔」を、今この瞬間に先取りしているようなものです。
だからこそ私たちは、何かを選ぶ重さを避けるために、「選ばない」という宙吊りの状態にとどまり、可能性という名の繭(まゆ)の中にいようとするのかもしれません。
行動できない理由は、本当に能力なのか
ここで改めて、自分自身に問い直してみたいのです。
行動できない理由は、本当に「能力」の問題なのでしょうか。
長く現場で多くの方と向き合ってきた中で感じるのは、多くの場合、それは「できない」のではなく「決めていない」という状態に近い、ということです。
本当は、動くための最低限の力はある。
一定の判断材料も、すでに手元に揃っている。
それでも一歩が出ないのは、「この道で行く」と決めた瞬間に、他のすべての可能性を葬り去ることになるから。
その「捨てること」の重みを避けるために、「まだ準備が足りない」という言葉が、まるで盾のように使われることもあるように思うのです。
もしそうだとするならば、問題の本質はスキルの不足ではなく、「意思決定の先送り」にあるのかもしれません。
そしてこの視点に立ったとき、「行動する」という言葉の意味も、少し色合いが変わって見えてきます。
行動とは、何か新しいことを始める華やかさ以上に、今持っている「他の選択肢を手放すこと」という、少しの痛みを伴う決断でもあるのではないでしょうか。
「自分で選ぶ」と「選ばされる」の違い
では、「自分で選んだこと」と「選ばされたこと」の違いはどこにあるのでしょうか。
たとえ同じ結果にたどり着いたとしても、その内側で呼吸している感覚は、驚くほど異なります。
「選ばされた」と感じているとき、私たちは知らず知らずのうちに、うまくいかなかったときの「出口」を用意しています。
環境のせい、状況のせい、あるいは誰かの判断のせい。
何かのせいにすることで、自分の心を守ることができるからです。
一方で、不完全ながらも「自分で選んだ」と認識した瞬間、その選択は血の通った「自分のもの」になります。
結果がどう転ぼうとも、その意味を自分自身で引き受ける覚悟が、静かに宿る。
この違いは、目に見える成果以上に、その後の「振る舞い」に大きな影を落とすように感じます。
起きた出来事を糧にして改善に向かうのか、それとも納得できないまま、その場所に立ち止まり続けるのか。
その分岐点にあるのは、能力の差ではなく、「どこまで自分の意思で決めたか」という、一点に集約されていくように思うのです。
選ぶ力とは、正解を当てる力なのか
ここでひとつの、当たり前だと思い込んでいる前提を疑ってみたくなります。
それは、「正しい選択をしなければならない」という考え方です。
選択を“正解探し”として捉えている限り、不安が完全に消えることはありません。
なぜなら、未来の正解は、その時点では誰にもわからないからです。
だからこそ、選べない理由を能力に置き換え、「もっと精度を高めてから決めよう」と時間を積み重ねてしまう。
しかし、その精度はどこまでいっても、私たちが望む「完全」には届かないのかもしれません。
そう考えていくと、選ぶ力とは「正解を見抜く力」というよりも、
「不完全なままでも、決める力」に近いものなのではないか、と感じるのです。
そしてもう一つ大切にしたいのは、「選んだ後にどう向き合うか」という姿勢です。
選択の価値は、選んだ瞬間に決まるのではなく、その後の関わり方によって、少しずつ形作られていく。
そう捉え直すと、「選ぶこと」の重さも、今までとは少し違って見えてくる気がするのです。
意思決定としての行動という捉え方
ここまで考えてくると、「行動できない理由」をどう捉えるかによって、その後の景色が大きく変わってくることに気づきます。
それは能力の問題ではなく、純粋な「意思決定の問題」ではないか。
つまり、「やれるかどうか」を問うているのではなく、「やると決めているかどうか」を問うているのではないか、ということです。
この違いは小さなようでいて、私たちの思考の方向を、まったく別の場所へと導きます。
能力の問題として捉え続ける限り、人はいつまでも「準備」を終わらせることができません。
しかし、意思決定の問題として捉え始めた瞬間、人は「選ぶこと」そのものと、真っ直ぐに向き合わざるを得なくなります。
どちらが良いのかを、一概に決めることはできません。
ただ少なくとも、「選んでいない状態」を能力のせいにし続けてしまうと、
自分が本来向き合うべき「問い」から、少しずつ遠ざかってしまうようにも感じられるのです。
どのように選び、どのように引き受けるか
選ぶことは、ときに怖いものです。
それは、大切に抱えてきた「他の可能性」を一つひとつ手放していく作業でもあり、選んだ結果を自分自身のものとして引き受ける、孤独な作業でもあるからです。
だからこそ私たちは、「能力」という言葉の陰に隠れて、その怖さを少しだけ和らげようとしてしまうのかもしれません。
けれどもし、「できない」のではなく、「まだ決めていないだけ」なのだとしたら。
その前提に立ってみたとき、いま自分の目に映っている景色は、どのように変わるでしょうか。
選ぶことは、あらかじめ用意された正解を当てるクイズではありません。
むしろ、不確かな世界の中に、自分という人間のあり方で「静かに線を引いていく」ような行為なのだと感じます。
その線を引き、進み始めたとき、私たちはようやく自分自身の人生を歩み始めるのかもしれません。
いま、私は何を基準に選び、どこまでその選択を引き受けていこうとしているのでしょうか。
そして、これからどのような人間でありたいと願っているのでしょうか。
まとめ
- 行動できない理由は能力ではなく、意思決定の先送りである可能性がある
- 「選ぶ」と「捨てる」は同時に起きており、不安はその喪失への恐れから生まれる
- 自分で選ぶことは結果ではなく、選択を引き受ける姿勢に違いを生む
併せて読みたい一冊
『決めることに疲れない 最新科学が教える「決断疲れ」をなくす習慣』堀田秀吾
人がなぜ決められなくなるのかを、「意思の弱さ」ではなく脳の仕組みから紐解いている一冊です。
「決められない自分」を責めるのではなく、どう向き合うかという視点が、今回のテーマとも静かに重なります。
もっと深めるためのメモ
選択の“基準”に踏み込んでみる
- 私たちは、何を基準に「これを選ぶ」と決めているのか
- その基準は、本当に自分のものと言えるのか
「後悔」という概念から深掘りしてみる
- 人はなぜ「後悔」をこれほどまでに恐れるのか
- 後悔しない選択とは、本当に存在するのか
「責任」の所在にフォーカスしてみる
- なぜ人は、自分で選ぶよりも「選ばされる」ことに安心するのか
- 「責任を引き受ける」とは、具体的にどういう状態なのか
「選ばない」という選択を再定義してみる
- 私たちは本当に「選ばないでいること」ができているのか
- 決めないという行為は、どんな結果を生んでいるのか
「選択と成長」の関係性から深めてみる
- 人は選んだから成長するのか、それとも成長したから選べるのか
- 間違った選択は、本当に成長を妨げるのか
「優しさ」と選択の関係から深めてみる
- 優しさは、ときに意思決定を鈍らせるのか
- 他者への配慮と、自分の選択はどこで折り合うのか
「決断の速さ」と質の関係から深めてみる
- 早く決める人は、本当に良い選択をしているのか
- 熟考することと、決めきることは両立できるのか
