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苦手を克服するのか、それとも再定義するのか──「教わる相手」から問う自分の在り方

【課題3988】
苦手意識のある分野は、誰に教わるのが良いと思うか。自分なりの考えをまとめてください。

「苦手なことを克服したいと思ったとき、あなたは誰の顔を思い浮かべるでしょうか。」

以前の私は、迷うことなく「一番上手な人」や「すでに結果を出している人」のもとへ走っていました。
それが一番の近道であり、正しい選択だと信じて疑わなかったからです。

けれど最近、ふとした瞬間に立ち止まって考えることがあります。
誰を師として選ぶかという小さな決断のなかに、実は「自分はこれからどう生きていきたいのか」という心の揺らぎが、静かに映し出されているのではないか……と。

正解を見つけることよりも、その手前にある自分の「在り方」を見つめ直してみる。
私自身、まだ手探りの途中ではありますが、いま感じていることを少しだけ置いておきたいと思います。

この記事の視点
「最短距離」の先にあるもの

効率よく正解を教わることだけが、苦手と向き合う唯一の道なのかを、一度立ち止まって考えてみます。

「かつての苦手」が教えてくれること

技術としての正解ではなく、変化のプロセスを知る人から学ぶ「心の向き合い方」に目を向けます。

「誰を選ぶか」は「どう在りたいか」

学ぶ相手を選ぶという行為のなかに、今の自分が大切にしたい「在り方」を見つけ出していきます。

この記事は「苦手分野における学び方」について、セールスパーソンおよびビジネス指導者としての立場から、自分自身の思考を整理し共有するものです。

目次

「うまくできる人」に教わるという前提

苦手な分野と向き合うとき、かつての私は迷わず「その道のトップ」に目を向けていました。

圧倒的な結果を出している人。
誰にでも当てはまるような、鮮やかな「正解」を語れる人。

いわば、自分が持っていないものをすべて持っているように見える存在です。

仕事の世界でも、やはり成果を出している方の言葉は、眩しく魅力的に響きます。
自分に足りない欠片を埋めてくれそうな期待がありますし、「このやり方をそのままなぞれば、自分も変われるのではないか」と、どこかで奇跡を求めていたのかもしれません。

けれど、ある時期から、心のどこかに小さなしこりのような違和感が生まれ始めました。

「その人のやり方をなぞってみても、自分の中でしっくりこない」

表面的には同じ動きをしているはずなのに、なぜか心が置いてけぼりになっているような感覚。
その違和感の正体は何なのか。

答えを外側に求めるのを一度やめて、自分の内側に目を向け始めたとき、もうひとつの選択肢が静かに浮かび上がってきました。

「苦手だった人」に目を向けるという選択

あるときから私は、「もともと得意な人」ではなく、「かつて、それを苦手としていた人」に強く惹かれるようになりました。

たとえば、人前で話すことに震えていた人。
物事を継続することができず、何度も自分に失望してきた人。

そうした方々が、どのような道のりを経て、今の穏やかな境地に辿り着いたのか。
その「揺らぎのプロセス」を、静かに聴いてみたいと思うようになったのです。

なぜなら、その人たちは“変化の途中の痛み”を、今も肌感覚で知っているからです。
華々しい結果だけでなく、できなかった頃の心細さや、そこから一歩を踏み出すときの葛藤を、鮮明に覚えている。

そこには、効率的な技術を超えた「できない側の視点」が、慈しみのように含まれています。

私が身を置く営業の現場でも、同じような光景に出会うことがあります。
最初から誰とでも打ち解けられる人と、葛藤を抱えながら向き合ってきた人とでは、お客様を見つめる眼差しが少し違うように感じるのです。

後者の方は、「どうすれば相手が安心して心を開けるか」を、自分の痛みを通した経験から、とても丁寧に、大切に考えている。
その違いは、単なる技術の差ではありません。
相手の孤独や不安に寄り添おうとする、「人間としての在り方」の違いなのだと思うのです。

苦手の正体は「能力」なのか「関わり方」なのか

ここで一度、静かに立ち止まって考えてみたいことがあります。
それは、私たちが「苦手だ」と感じているものの、本当の正体についてです。

それは本当に、磨けば解決する「能力」の問題なのでしょうか。
それとも、その対象との「関わり方」や「捉え方」の問題なのでしょうか。

たとえば、「人前で話すのが苦手」という感情を少し紐解いてみると、そこには単なる技術不足だけではない、さまざまな心の機微が隠れていることに気づきます。

・誰かに評価されることへの、かすかな不安
・完璧に振る舞わなければならないという、自分への縛り
・相手との間に引いてしまった、目に見えない境界線

もし、そうした心の動きが苦手の根っこにあるのだとしたら、必要なのは新しいスキルの習得ではないのかもしれません。
むしろ、自分との「関係性の築き方」を変えたり、その行為に新しい「意味」を見出したりすること。

そう考えると、自ずと教わるべき相手も変わってきます。

単に「上手にこなす方法」を知っている人ではなく、自分自身の弱さと「どう向き合い直したのか」を、自身の言葉で語れる人。
つまり、“技術”を教える指導者というよりは、自分なりの“解釈”を確立した一人の人間から、学びたいと思うようになるのです。

プロフェッショナルから学ぶということ

もちろん、その道のプロフェッショナルから学ぶ価値がなくなるわけではありません。
むしろ、彼らが長い歳月をかけて磨き上げてきた視点は、私の凝り固まった思考を解きほぐしてくれる、大切なきっかけになります。

ただ、以前と違うのは、その言葉の「受け取り方」かもしれません。
「言われた通りに正解をなぞる」のではなく、「自分の経験に照らして、静かに解釈する」という姿勢です。

たとえば、同じ一言であっても、今の自分が置かれた環境や、これまで大切にしてきた価値観というフィルターを通してみると、まったく違う色合いを帯びて届くことがあります。

そのときに生じる、自分と相手との「わずかなズレ」。
以前の私はそれを「間違い」だと焦って直そうとしていましたが、今はそのズレこそが、自分だけのスタイルを形づくる大切なヒントなのだと感じています。

仕事の現場においても、成功事例をそのまま形に当てはめるのではなく、目の前のお客様、自分との関係性、そして今の自分の呼吸に合うように、ゆっくりと再構築していく。

その「自分なりに編み直す」という手間のかかるプロセスこそが、苦手だった事柄を、かけがえのない自分の個性へと変えてくれる気がするのです。

誰に教わるかは、「どう在りたいか」という問い

結局のところ、「誰に教わるか」という選択は、単なる効率の話ではないのかもしれません。
それは、「自分はどう在りたいのか」という、静かな問いそのものに重なっているように感じます。

苦手を、力技でねじ伏せて克服したいのか。
それとも、苦手なままでも自分らしく活かせる形を、根気強く探したいのか。
あるいは、苦手という感覚そのものを、もっと深い次元で問い直してみたいのか。

自分がどこへ向かおうとしているのかによって、必要とする「鏡」は自ずと変わっていきます。

・結果を最短で出したいのなら、高みを極めたプロフェッショナルかもしれない。
・変化の痛みを分かち合いたいなら、かつて葛藤した先ゆく人かもしれない。
・自分の内面を深く見つめたいなら、静かに問いを投げかけてくれる人かもしれない。

どれが正しいということではなく、その時々で自分が何を選ぶのか。
その選択のなかに、今の自分の意思が、ひっそりと、けれど確かに宿っているのだと思います。

苦手と向き合う時間の意味

苦手な分野に向き合うという時間は、単に自分に足りないピースを埋めるためだけのものではないのかもしれません。
むしろ、自分の「思考の癖」や「何を大切にして生きているか」という、自分自身の輪郭に触れる貴重な機会でもあるように感じます。

なぜ、それを苦手だと感じるのか。
なぜ、そこまでして「できるようになりたい」と願うのか。

その問いを何層にも重ねていく中で、私たちは少しずつ、本当の自分と出会っていく。

そして、その過程で出会う「教えてくれる人」は、単なる知識の伝達者ではなく、自分の内なる声を共鳴させてくれる、鏡のような存在なのかもしれません。

自分自身への問いかけ

「誰に教われば、この苦手を克服できるだろうか。」

慣れ親しんだその問いを、ほんの少しだけ変えてみると、見えてくる景色が変わる気がしています。

「誰に教われば、私は自分らしく、その苦手と向き合えるようになるのだろうか。」

その問いに対して、今の自分はどんな答えを持っているでしょうか。
そして、その答えはこれから歩んでいく時間のなかで、どのように色を変えていくのでしょうか。

苦手というテーマを通して、私たちは、どんな自分でありたいと願っているのでしょうか。

その答えは、急いで出す必要はないのかもしれません。
ただ、その問いを大切に抱えながら、明日もまた、自分なりの歩みを続けていきたい。
私は、そんな風に思っています。

まとめ

この記事の要点
  • 苦手分野は「できる人」ではなく「変化のプロセスを持つ人」から学ぶ視点もある
  • 苦手の正体は能力ではなく、関わり方や解釈にある可能性がある
  • 誰に教わるかは、「どう在りたいか」という問いと深く結びついている

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『また、同じ夢を見ていた』住野よる
「幸せとは何か」を問い直す少女の成長物語です。かつて苦手だった人が持つ「変化の途中の痛み」や「相手への眼差し」の尊さを、物語を通して柔らかく、けれど鮮烈に感じさせてくれます。

もっと深めるためのメモ

そもそも“苦手”とは何を指しているのか?

苦手という言葉でひとくくりにしているが、それは「経験不足」なのか「恐れ」なのか「価値観との不一致」なのか。
自分の中で“苦手”とラベリングしているものの内訳を分解してみる。

苦手を克服したいと思うのはなぜか?

克服したい理由は本当に自分の内側から来ているのか、それとも外部からの期待や評価なのか。
「できるようになりたい」の裏にある動機を考えてみる。

苦手なままで価値を発揮することはできるのか?

克服する前提を一度外し、「苦手を残したままでも成立する在り方」を考えてみる。
自分の武器との組み合わせや、役割の取り方に視点を移してみる。

“教わる”とはどのようなことをいうか?

知識や技術を受け取ることなのか、それとも思考や解釈が変わることなのか。
同じ話を聞いても変化する人としない人の違いは何か。

自分はこれまで、誰からどのように影響を受けてきたのか?

過去を振り返り、自分の変化に影響を与えた人や出来事を棚卸ししてみる。
そこに共通する要素を見つけることで、「自分に合う学び方」の輪郭を探ってみる。

苦手だと感じている分野に、あえて強みを持ち込むとしたら何ができるか?

弱点を埋めるのではなく、自分の得意な領域を掛け合わせることで再定義を試みる。
“苦手の攻略”ではなく、“苦手の編集”という視点から考えてみる。

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この記事を書いた人

このサイトは、ビジネスの課題について思考を深めるノートです。
生命保険営業の現場経験と、業界を越えたビジネス指導の視点から、
正解のないビジネスの課題について考えています。

【好きなもの】猫、温泉、クロワッサン

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