【課題3987】
私たちはなぜ、“すでに持っているもの”より“持っていないもの”に価値を感じるのか。自分なりの考えをまとめてください。
何かを手に入れることよりも、
すでにあるものに気づくことのほうが、
実は、ずっと難しいのかもしれません。
遠くの光にはすぐに目が向くのに、
自分の足元にあるものの手触りには、
意識を向けなければ、なかなか触れることができない。
そのもどかしさの中に、
自分の「在り方」が静かに表れているような気がしてなりません。
- 比較のフィルターを外してみる
-
「足りない」という感覚の正体は、どこにあるのか。
- 「手に入れる」から「気づく」への移行
-
日常に溶け込んでいる価値を、どう抱きしめるか。
- 二つの自分を、両輪にする
-
追いかけるエネルギーと、満たされる安らぎの調和。
この記事は、「持っていないものに価値を感じてしまう理由」について、セールスパーソンおよびビジネス指導者としての立場から、自分の思考を整理し共有するものです。
なぜ私たちは「ないもの」に目を向けてしまうのか
もっと成果を出したい。
もっと正当な評価を受けたい。
もっと、何かに手が届く自分になりたい。
気づけば私たちは、いつも「まだ持っていないもの」のほうを向いて立っています。
それは、自分をより遠くへ運んでくれる原動力であり、明日をひらくための力でもあります。
けれど同時に、その視線の向け方に、どこか「無理」が生じているようにも感じるのです。
なぜ私たちは、手のひらの中にある温もりよりも、
まだ触れたことのない何かに、強く心を奪われてしまうのでしょうか。
比較が生み出す“足りなさ”
その背景には、「比較」という静かな習性があるように思います。
私たちは、自分という存在の価値を、自分一人で測ることがあまり得意ではありません。
どうしても誰かの背中や、過ぎ去った過去、あるいは、こうあるべきだという理想の未来と自分を重ねてしまう。
すると、せっかく積み上げてきた「今の自分」が、どこか欠けた、不十分なものに見えてきます。
そして、その欠けた部分を埋めてくれそうな「まだ手にしていないもの」が、必要以上に美しく、魅力的に映ってしまう。
本来なら、今この瞬間も確かにそこに存在している価値があるはずなのに。
誰かと比べるというフィルターを通した瞬間に、その輪郭は、静かに、けれど確実に薄れていってしまうのです。
もしかすると私たちは、「ないもの」そのものに価値を感じているのではなく、
「比べた結果、足りないと思い込まされたもの」を、懸命に追いかけているだけなのかもしれません。
すでにあるものは、なぜ見えにくいのか
一方で、「すでに持っているもの」はどうでしょうか。
それはあまりにも日常の景色に溶け込んでいて、
あえて意識の光を当てなければ、ほとんど認識されることがありません。
たとえば、指先に伝わる湯気の立つコーヒーの温かさ。
静かな山あいの温泉に身を浸し、凝り固まった力がゆっくりとほどけていく感覚。
あるいは、誰かとの何気ない会話の中で、ふと心が軽くなる瞬間。
こうしたものは、わざわざ手に入れるべき特別な出来事ではなく、
むしろ、いつでもすぐそばにあるものです。
それなのに、私たちはそれらを「価値」として抱きしめる前に、
忙しなさの中で通り過ぎてしまうことが多い。
なぜなら、それらは「勝ち取るもの」ではなく、
そこにあることに「気づくもの」だからです。
「足りなさ」に慣れすぎていないか
もう一つ、私たちが向き合うべきことがあるように感じています。
それは、私たちはあまりにも「足りない状態」を前提に生きることに、慣れすぎてしまったのではないか、ということです。
足りないから、補おうとする。
足りないから、もっと高くへ。
足りないからこそ、成長できる。
この欠乏を埋めようとするエネルギーは、確かに私たちを遠くへ運んでくれました。
私自身、その力に救われてきた一人でもあります。
ただ、その「足りなさ」だけをガソリンにして走り続けると、
どこまで辿り着いても、心の奥底に乾いた感覚が残り続けてしまう。
やっと何かを手にしても、
その瞬間に、また次の「足りないもの」が視界に現れてしまうからです。
その終わりのない追いかけっこの中で、
「今、ここにあるもの」を味わうための柔らかな感覚が、少しずつ、摩耗していったのかもしれません。
拾い上げるという感覚
だから最近は、少しだけ視界を低くして、歩き方を変えてみたいと思っています。
遠くにある輝きを追いかけるのを一度お休みして、
自分のすぐ足元に、そっと目を向けてみる。
よく見ればそこには、小さな幸せの欠片のようなものが、いくつも落ちていることに気づきます。
それを、欲張ることも、急ぐこともなく、一つひとつ丁寧に拾い上げていく。そんな感覚です。
それは決して、人生を大きく変えるような大げさなことではありません。
一日のなかで、ほんの数秒だけ立ち止まってみること。
ただ流れていくだけだった時間に、あえて「今、ここにいる自分」を重ねてみること。
そうするだけで、今まで背景の一部として通り過ぎていたものが、
静かに、確かな輪郭を持ちはじめることがあります。
それは、言葉にするほどでもない、小さな充足かもしれません。
けれど、今の私を支える、確かな手触りを持ったものです。
追いかける自分と、気づく自分
もちろん、「まだ持っていないもの」を懸命に追いかける自分を、
否定するつもりはありません。
理想を描き、そこに向かって手を伸ばそうとする姿勢は、
これからも私を前に進め、未知の景色を見せてくれる力であり続けるはずだからです。
ただ、それだけではなく。
「すでにあるものに、そっと気づこうとする自分」も、
同じくらい大切に、隣に置いておきたいのです。
遠くを見つめて走る自分と、足元を見つめて立ち止まる自分。
この二つは、決して対立するものではないのでしょう。
どちらも、自分という人間の「在り方」を形づくる、
欠かせない両輪のようなものなのかもしれません。
どんな視線で日常を見ていくのか
特別な何かを手にしなくても、
私たちの日常には、すでに驚くほど多くのものが存在しています。
ただ、その豊かさに触れられるかどうかは、
自分がどんな「視線」を世界に投げかけているかに、委ねられている。
足りないものを探し続ける、鋭い視線なのか。
それとも、すでにあるものを見つけようとする、柔らかな視線なのか。
どちらを選ぶかによって、
鏡に映る自分の顔も、今日という一日から受け取る温度も、
少しずつ変わっていくのかもしれません。
まだ十分にはできていませんが、
私はこれから、後者の視線も、忘れずに持ち続けていたいと思っています。
では、私はこれから。
何を求め、そして、何に気づきながら生きていきたいのだろうか。
まとめ
- 人は比較によって「ないもの」に価値を感じやすい
- 日常の中には気づかれていない価値がすでに存在している
- 追いかける視点と気づく視点、その両方が在り方を形づくる
併せて読みたい一冊
『嫌われる勇気』岸見一郎・古賀史健
「今の自分」を認められない原因がどこにあるのかを、アドラー心理学の視点から解き明かしています。
他者との比較を手放し、「いま、ここ」にある自分の人生を鮮烈に生きるための、静かな勇気を与えてくれる一冊です。
もっと深めるためのメモ
「なぜ気づけないのか」をもう一段深掘りしてみる
- 私たちはなぜ、「すでにあるもの」に気づくことがこんなにも難しいのか。そこにはどんな思考の癖があるのか。
- 「当たり前」とは何か。それはどのようにして生まれ、なぜ価値を感じにくくするのか。
「比較」というテーマを単独で扱ってみる
- 比較することは本当に悪いのか。それとも、使い方次第で価値にもなるのか。
- 私たちは、いつから他人との比較で自分を測るようになったのだろうか。
「満たされなさ」の正体を考えてみる
- なぜ私たちは、何かを手に入れても満たされ続けることがないのか。
- 「満足すること」と「成長すること」は両立するのか。

「気づく力」をテーマに考えてみる
- 「気づける人」と「気づけない人」の違いは何か。
- 気づく力は鍛えられるのか。それとも姿勢の問題なのか。

営業・ビジネスと関連づけて考えてみる
- 顧客は「持っていない不安」によって動くのか、それとも「すでにある安心」によって動くのか。
- セールスとは、「足りないもの」を示すことなのか、それとも「すでにある価値」に気づかせることなのか。
「欲張らなさ」を扱ってみる
- 欲張らないことは、本当に成長を止めるのか。それとも別の成長を生むのか。
- 「求めすぎない」という選択は、どんな在り方につながるのか。

「豊かさの定義」を問い直してみる
- 豊かさとは、どれだけ多く持つことなのか。それとも、どれだけ気づけるかということなのか。
- 「満ちている状態」とは、どんな状態を指すのだろうか。