【課題500】
自分自身の「欲」との付き合い方を定義してみてください。
「もっと成果を出したい」
そう願うとき、私たちはどこか熱を帯び、同時に、微かな痛みを覚えることがあります。
この熱量は、誰かを幸せにするためのものだろうか。
それとも、自分一人のために誰かを置き去りにしていないだろうか。
営業という、数字と誠実さの間で揺れ動く仕事をしていると、ふとそんな、足元が揺らぐような瞬間に立ち至ることがあります。
売上、承認、あるいは自己実現。
私たちが抱える「欲」は、行動の源泉でありながら、ときに自分自身の輪郭を歪めてしまう危うさも秘めているようです。
この問いに、明確な答えを提示できるわけではありません。
ただ、長年営業という場所で、欲に突き動かされ、あるいは欲に迷わされてきた一人の人間として、今感じている「欲との距離感」を整理してみたいと思います。
まだ道半ばではありますが、ひとつの思考の足跡として、共有させてください。
- 「善悪」で断じるのを、一度やめてみる
-
欲を抑え込むことが、なぜ自分自身のエネルギーまでも奪ってしまうのか。その違和感を見つめます。
- 自分の「視野の広さ」を測る、ひとつの物差しにする
-
欲に飲み込まれているとき、私たちの視界はどう変化しているのか。営業現場での微細な感覚を共有します。
- 欲を「対話の相手」として横に置いてみる
-
コントロールしようとするのではなく、問いを重ねる。その不器用な繰り返しの中に宿る「あり方」を模索します。
この記事は「欲との向き合い方」について、セールスパーソンおよびビジネス指導者としての立場から、自分自身の思考を整理し共有するものです。
欲は悪いものなのか
かつての私は、「欲は御すべきもの」だと考えていました。
特に営業という仕事においては、欲が表に出すぎると、どうしてもお客様本位から遠ざかってしまう。
だからこそ、その火をできるだけ小さく灯しておくのが正解なのではないか、と。
しかし、そうやって欲を抑え込もうとしていた時期、私の内側では不思議なことが起きていました。
欲を消すことは、同時に「熱量」を消すことでもあったのです。
お客様への提案から力が抜け、言葉がどこか空虚に響く。
「本当にこれでいいのか」という迷いが、行動そのものを鈍らせていきました。
誰かの役に立ちたいと願うことも、一つの欲。
より良い自分でありたいと切望することも、一つの欲。
そう考えると、欲そのものに善悪のラベルを貼ることに、あまり意味はないのかもしれないと感じるようになりました。
欲に飲み込まれるとき
一方で、欲に強く引っ張られているときの自分には、ある共通の「サイン」があることに気づきました。
それは、世界が狭くなる感覚です。
数字を追いかけるあまり、目の前のお客様が発した「迷いのサイン」を、自分に都合よく解釈してしまう。
「あと一歩、踏み込んで考えるべきだ」と内なる声が聞こえていても、「今すぐ決めてもらいたい」という焦燥がその声をかき消してしまう。
こうした状態のとき、私は冷静な判断をしているつもりでも、実際には「自分の都合」という色眼鏡でしか相手を見ていなかったのだと思います。
そして何より、そうした提案によって結ばれた関係は、驚くほど脆いものです。
短期的には成果が出たとしても、そこには紹介も、長く続く信頼も生まれません。
後になって、消えない歪みだけが残るのです。
欲を消そうとする違和感と距離感
では、欲を持たないことが正解なのでしょうか。
おそらく、それもまた不自然な姿なのだと思います。
欲を否定しすぎると、言葉から「意志」が消えていきます。
営業という、価値を届ける仕事において、届けたいという強い意思は不可欠なエネルギーだからです。
否定するのではなく、かといって飲み込まれるのでもない。
最近ようやく意識し始めたのは、欲との「距離感」を測る、ということです。
自分の内側に欲があることを認めつつ、その欲と自分の間に、ほんの少しの「余白」を置いてみる。
たとえば、商談の最中にふと、「この選択は、誰の幸せのために急いでいるのか」と自分に問いかけてみます。
すぐに明快な答えが出るわけではありません。
けれど、その問いをひとつ挟むだけで、飲み込まれそうになっていた自分を、少しだけ遠くから眺められるようになるのです。
欲を「対話の相手」として捉える
欲を「どう扱うか」よりも、「どう向き合い続けるか」。
私は最近、欲を敵や味方としてではなく、一人の「対話の相手」として捉えるようにしています。
「なぜ今、これほどまでに認められたいのか」
「この焦りの裏には、どんな不安が隠れているのか」
そうやって問いを重ねることで、得体の知れない塊だった欲の「輪郭」が少しずつ見えてきます。
輪郭さえ見えていれば、無意識に振り回されることは少なくなります。
もちろん、常にこれができているわけではありません。
気づけば欲に足元をすくわれ、自己嫌悪に陥る日もあります。
けれど、そのたびにもう一度立ち返る。
この不器用な繰り返しの積み重ねでしか、自分なりの距離感は育っていかないのかもしれないと感じています。
営業という仕事の中で
営業という仕事は、人と向き合う仕事です。
だからこそ、自分の内側にある欲が、そのまま相手との関係性に影響していきます。
欲を完全に排除することもできない。
かといって、欲のままに動けば関係性は崩れていく。
その間で揺れ続けること自体が、この仕事の本質なのかもしれません。
だからこそ、「正しい欲の持ち方」を求めるよりも、「今の自分はどんな状態なのか」に気づき続けることのほうが、結果的に長く続く関係性につながっていくように感じています。
静かな問いとして
欲と、どう付き合っていくか。
その問いに対し、私はまだ、一行の答えも持っていません。
ただ、欲を抑え込むでもなく、かといって無批判に正当化するでもなく、ただ静かに「観察し続ける」という姿勢。
そこに、長くこの仕事を続けていくための、ささやかな希望を感じ始めています。
これからも、営業という現場で、そして日々の暮らしの中で、欲は何度も顔を出してくるでしょう。
そのたびに、私はどんな距離でそれと向き合いたいのか。
まだ十分にはできていませんが、その問いを忘れない人間でありたいと思っています。
あなたにとって、「欲」とはどのような存在でしょうか。
そして今日、その欲と、どのような距離で向き合いたいと感じていますか。
まとめ
- 欲は善悪で判断できるものではなく、営業の中で自然に存在するもの
- 欲に飲み込まれると視野が狭くなり、関係性に歪みが生まれる
- 欲との距離感を観察し続けることが、自分の在り方を整える手がかりになる
『反応しない練習』草薙龍児
「欲」を否定すべき悪とせず、単なる「心のエネルギー」として客観的に観察する智慧を説いた一冊です。
執筆者の「欲との距離感」という視点を、原始仏教の合理的な思考法から補強してくれます。
もっと深めるためのメモ
欲の“正体”を考えてみる
- 自分の欲は、どこから生まれているのか?(環境・過去・恐れ・理想)
- 「本音の欲」と「表面的な欲」は分かれていないか?
- その欲は、本当に自分のものと言えるのか?
欲が強くなる“瞬間”に注目してみる
- どんな場面で、自分の欲は強くなるのか?
- そのとき、自分は何を恐れているのか?
- 欲が強く出た後、どんな後味が残るのか?
欲が弱まる“状態”を探ってみる
- 欲が穏やかなとき、自分はどんな状態にあるのか?
- その状態は、意図してつくれるものなのか?
- 欲が弱い状態は、本当に良い状態と言えるのか?
営業との関係で捉えてみる
- 成果への欲と、顧客への誠実さは両立するのか?
- 紹介が生まれるとき、そこにある欲はどんな質か?
- 「売りたい」という気持ちは、どこまで許容されるべきか?
“欲を扱う自分”に焦点を当ててみる
- 欲を感じている自分を、どう評価しているか?
- 欲に気づけているときと、気づけていないときの違いは何か?
- 自分は、どんな欲なら大切にしたいと思えるのか?
少し抽象度を上げて考えてみる
- そもそも「良い欲」と「悪い欲」は存在するのか?
- 欲があるからこそ生まれる価値とは何か?
- 欲がなかったとしたら、自分はこの仕事を続けているのか?