【課題3950】
効率を重視するビジネスの現場で、あえて『感じること』そのものを目的とした鍛錬をすることの意義について、自分なりの考えをまとめてください。
効率を求めることは、ビジネスにおいて自然な流れだと思います。
限られた時間の中で成果を出そうとすれば、無駄を削ぎ落とし、最短距離を探そうとします。
その中で、「感じること」は、どこか後回しにされやすいものでもあります。
けれども、本当に、それは削ぎ落としていいものなのでしょうか。
例えば、朝の光に透ける焼きたてのクロワッサンの層を見つめる。
重なり合う生地の繊細さや、立ち上がるバターの香りに、ただ心を寄せてみる。
そんな時間は、一見すると仕事の生産性とは無縁に思えます。
しかし、こうした「ただ感じること」を置き去りにしたまま、私たちは本当の意味で誰かの心に届く仕事ができるのでしょうか。
- 「役に立つ」という目的を、一度手放してみる
-
技術や成果に直結させようとする意識が、かえって感覚の解像度を下げてしまうのではないか、という問い。
- 「正解」のない場所に、身を置いてみる
-
他者の評価や一般的な正解から離れ、自分自身の内側に立ち上がる言葉に正直に向き合う作法。
- 「在り方」としての鍛錬を、静かに積み重ねる
-
効率の土俵に乗らない時間を持ち続けることが、結果として自分という人間の輪郭をどう形づくっていくのか。
この記事は「感じることを鍛える意味」について、セールスパーソンおよびビジネス指導者としての立場から、自身の思考を整理し共有するものです。
感じることは、役に立つのか
「五感で真剣に感じる」
そう聞くと、一見するとビジネスとは距離のある行為のようにも思えます。
数値に直結するわけでもなく、即座に成果を生むわけでもありません。
むしろ、流れる時間をあえて止めてしまうような、ある種の“非効率な営み”に見えるかもしれません。
ただ、現場に長く身を置いていると、別の側面も見えてきます。
安定して成果を出し続ける人ほど、目に見えない違和感や、言葉にならない空気を丁寧にすくい上げる力を持っているように感じるのです。
例えば、お客様がふと見せたわずかな沈黙。
その場の空気が、ほんの数度だけ冷えたり、あるいは和らいだりする瞬間。
あるいは、言葉と表情の間に生まれる、髪の毛一本分ほどのズレ。
こうしたものを「感じ取る力」は、特殊な才能ではなく、後天的に鍛えられるものなのかもしれません。
だとすれば、「感じること」は非効率どころか、長い目で見ればこれ以上ないほど本質的な力につながっている。
私は、そう信じてみたいと思っています。
効率の外に置かれた時間を、どう守るか
とはいえ、現実のビジネスの現場で「感じること」を目的とした時間を確保し続けるのは、決して簡単ではありません。
すぐに成果に結びつかない取り組みほど、優先順位は知らぬ間に下がっていきます。
ここで一つ鍵になるのは、「目的をすり替えないこと」ではないかと考えています。
つまり、この鍛錬を「仕事に役立つからやる」と位置づけすぎないことです。
もちろん、結果としてお客様との関係に良い影響が出ることはあるでしょう。
しかし、それを前面に出しすぎると、私たちの意識は途端に“役に立つ感じ方”を効率よく探し始めてしまいます。
それは、「感じる」という行為そのものを歪めてしまう危うさがあるように思うのです。
むしろ、そこに意味を求めすぎない。
効率の文脈から一度切り離し、損得のない白紙の状態で対象と向き合う。
そうして初めて、自分の内側に立ち上がってくる純粋な感覚があるのではないでしょうか。
鍛錬の場に必要な、いくつかの前提
この取り組みを継続するためには、いくつかの“場の前提”が大切になると感じています。
まず、「正解をつくらないこと」です。
同じものを見ても、何を感じるかは人それぞれ違います。
その違いを評価したり、優劣をつけたりする場にしてしまうと、言葉は途端に借り物になり、心は閉じてしまいます。
次に、「具体に降りること」です。
きれい、美しい、すごい、といった便利な言葉で片付けてしまわず、
何がどう見えたのか。どんな音が重なり、どんな匂いがしたのか。
解像度を上げていくことで、ようやく自分だけの感覚に触れられるようになります。
さらに、「短く言葉にする」という制約も有効かもしれません。
長く語るほど、私たちは「説明」で自分を繕おうとします。
あえて言葉を削ぎ落とし、わずかな語数で表現しようとするとき、自分が本当に何を選び取ったのかが浮き彫りになります。
そして何より、「評価しない時間」を守ることです。
うまく言おう、お客様に刺さる言葉を探そうとする瞬間に、意識は自分の外側へと逃げていきます。
この場では、うまさよりも“正直さ”に価値を置く。
そんな、自分自身に対して誠実であるための時間が、必要なのだと思います。
続けることで、何が変わるのか
こうした鍛錬を積み重ねていると、少しずつ、でも確実に景色が変わってきます。
日常の中で、「今、自分は何を感じているのか」と静かに立ち止まる瞬間が増えていきます。
これまで意識せずに通り過ぎていた風景や、何気ない会話の中に、微細な違いを見出すようになります。
それはお客様と向き合う場面でも同じで、
発せられた言葉そのものだけでなく、その背後にある声の温度や、心の揺らぎに自然と意識が向くようになります。
ただし、それを手に入れた武器のように「使おう」とした瞬間に、また何かが手元から滑り落ちてしまう気もしているのです。
感じ取ったものをどう扱うか、それは一筋縄ではいきません。
だからこそ、この鍛錬は“何かに活かすための技術”というより、
自分という人間が「どう在るか」という根っこの部分に、静かに浸透していくものなのかもしれません。
それでも、効率を求める現場の中で
では改めて、効率を重視するビジネスの現場で、あえて「感じること」そのものを目的とした鍛錬を継続するには、どうすればいいのでしょうか。
一つの答えは、「効率の土俵に乗せないこと」なのかもしれません。
成果や再現性といった尺度で測ろうとすると、この取り組みは途端に本来の輝きを失います。
むしろ、誰にも測れないものとして扱い続ける、一人の人間としての「覚悟」が問われるのだと思います。
そしてもう一つは、「小さく続けること」です。
大きな制度や仕組みにする必要はありません。
例えば、雨上がりの土の匂いや、猫の柔らかな毛並みに触れた時の温もり。
そんな、日常の片隅にある微細な感覚を、静かに積み重ねることでしか見えてこないものがあります。
効率とは別の軸を、あえて持ち続ける。
それは遠回りに見えて、結果的には自分という人間の輪郭をつくっていく行為なのかもしれません。
私たちは日々、多くの情報に触れながら、そのほとんどを「理解したつもり」で通り過ぎています。
けれど本当は、まだ感じきれていないことの方が、ずっと多いのではないでしょうか。
もしそうだとしたら——
自分は、何をどれだけ丁寧に受け取ろうとしているのでしょうか。
これから、どんな人間として、お客様の前に立ちたいと思っているのでしょうか。
まとめ
- 感じる力は非効率に見えて、長期的には本質的な価値につながる可能性がある
- 鍛錬の場では正解や評価を排し、具体的かつ短く言葉にすることが重要
- 効率とは別軸として「感じる時間」を守り続けることが、自分の在り方に影響する
併せて読みたい一冊
『偶然のチカラ』植島啓司
出来事の意味や偶然との向き合い方を通して、「感じ取る」という行為の奥行きを考えさせられます。
コントロールできないものにどう感覚を開くか、という視点が得られます。
もっと深めるためのメモ
感じることの本質に踏み込んでみる
- “感じたこと”と“解釈したこと”は、どこで分かれるのか
- 人は本当に五感で感じているのか、それとも過去の経験で見ているのか
- 感じる力は“鍛えるもの”なのか、“思い出すもの”なのか
言語化との関係を深めてみる
- 言葉にした瞬間、感じたものは失われているのか
- 言語化は感覚を正確にするのか、それとも歪めるのか
- “うまく言えた表現”と“正直な表現”は一致するのか
ビジネスとの接続を問い直してみる
- 感じる力は、本当に成果に結びつくのか
- 感じることを“価値”とした瞬間に、それは変質するのではないか
- 効率を求める組織の中で、測れないものをどう扱うべきか
組織・人材育成の観点から考えてみる
- 感じる力を組織で共有することは可能なのか
- この鍛錬は“自発性”がなければ成立しないのではないか
- 指導者は、どこまで“感じ方”に関与してよいのか
在り方に収束させてみる
- 感じることを大切にする人とは、どんな人なのか
- 感じる力が高い人は、優しいのか、それとも厳しいのか
- 自分は、どんなものを感じ取れる人でありたいのか